依存症になりやすい性格
依存症になりやすい性格の場合、事前に注意することも必要です。
毎日、大量にお酒を飲んでいるのにアルコール依存症にならない人となる人の違い
動物実験の結果からは、四六時中大量のアルコールをあたえれば、だれでもがアルコール依存症に陥ることになります。しかし、人間の場合、実際にはいくら大酒を飲んでも依存症にならぬ人があり、たいした量でもないのに依存症になる人がいます。
では、アルコール依存症になりやすい人格や性格の傾向はあるのでしょうか。日本のアルコール依存症の断酒会員も、「心の誓い」のなかで、まず自分の酒への逃避傾向を認めて改善を誓っているのですが、精神分析の本場のアメリカでは、アルコール依存は現実の社会に適応できず、飲酒によって幼児期に過行して現実から逃避をはかるというパターンで説明されています。
その説明としては乳児期の口唇愛傾向を強調するものと、幼児期の潜在性同性愛傾向を指摘する学派とがあります。
このうち、口唇愛傾向とは、わかりやすく説明すると、アルコール依存症になりやすい人には自我が未発達で甘えん坊、依頼心が強く、情緒的にも不安定な「依存的人格」の人が多く、まるでほ乳瓶をくわえてすやすや寝込んでいる赤ん坊のようにウィスキーのボトルにしがみつくという学説です。
アルコール依存症の方が酒におぼれる理由は、人によってさまざまです。こうしたみかたが一部はあてはまるとしても、すべてを説明できる学説ではありません。
また心理テストによって、一定の性格傾向をもとめた研究も多いのですが、アルコール依存症になりやすい依存的性格として特別にこれといったものはでてこないといえます。
悲しいお酒の問題点
悲しみを紛らわすために飲むお酒にはさまざまな問題点を抱えています
悲しみを紛らわすお酒は、楽しいお酒より依存症になりやすい
女性には、夫との離婚や死別など、愛する対象を喪失した心のいたでを酒でまぎらわしているうちに依存になってしまう人が少なくないようです。これは対象喪失の「悲しい酒」の典型です。
「ひとり酒場で飲む酒は別れ涙の味がする」
この歌を絶唱するたびに涙を流していた美空ひばりは、離婚にはじまり、つぎつぎに肉親をなくすという悲運にみまわれました。
最愛の対象を失うことを、精神分析学では「対象喪失体験」というのですがこうした悲痛な体験をなんとかまぎらすために深酒に走る人は多いのです。
酔うほどに、もうろうとして気持ちもすこしはらくになり、酔いつぶれて寝こんでいる時間だけは悲しみを確実に忘れることができます。
美空ひばりは毎夜ブランデーや焼酎をあけるようになって命を縮め、「三人娘」のもう1人、江利チエミも離楯の傷心から立ちなおれずに孤独の死をとげました。
女性のアルコール依存症の方に行ったアンケート調査をみても、女性では、男性のアルコール依存症にくらべて自律神経失調や神経症傾向、抑うつ傾向、ほかの薬物依存の合併症などが明らかに多くなっています。
また飲酒パターンとしては、男性アルコール依存症の方のほとんどが20代までに酒を覚えるのにたいし、女性では30歳以上の初飲年齢が4分の1以上いました。
最近は、みるからに気の強そうなタレントがCMで「女性にビール、もう常識でしょう」と怒ったようにいう時代になりましたが、この調査の行われたころは女性の社交的飲酒は少なく、精神的ショックから酒に走る場合が多かったのです。つまり、女性の酒はおくてで、楽しい酒よりも悲しい酒であり、心のいたみを晴らすための精神安定剤がわりにお酒をガブ飲みする結果、アルコール依存症になるという状況でした。
最近のヤングの飲酒人口の男女比は完全に1対1になり、いまや週末の都心の居酒屋は若いOLたちに占領されて、若い男性サラリーマンはスミのほうで小さくなっています。
結婚難も男性のほうが深刻ですし、失恋でメソメソするのも若い男です。「悲しい酒」は男のものになったのかもしれません。男性は、アルコール依存症にならぬように気をつけたほうがよいでしょう。卑弥呼の時代から、倭人は葬式で酔い泣きしていました。人は耐えがたい心のいたでを酒でまぎらしますが、長期間アルコールに依存するのは危険なのです。
危険な飲みかたのいろいろ
神経を使う仕事をしている人は依存症になりやすいとの報告
依存症になりやすい危険な飲酒パターン
「ノミニケーション」とかいって、とかくサラリーマンには接待酒、つき合い酒が欠かせません。
かつて、やるせなさそうな真顔をとたんに愛想笑いに切り換えるCMがありましたが、自分を殺して飲む酒のホロ苦さが、宮仕えの身にいたくしみたからでしょう。
また、秒きざみでビリビリ神経をはりつめているテレビ関係者も、いきおい番組が終わると夜の街にくりだすことになりがちですが、これは、公演の打上げに役者高が乱痴気騒ぎをするのとおなじ心理でしょうか。
こうして芸能人やマスコミ関係者にお酒の強い人が多くなるのですが、与太郎を演じながら客の笑いばかりを気にしている落語家も、おなじくストレスの多い商売の代表です。気をつかいすぎて神経性脱毛症になった圓蔵師匠や、突拍子もない奇行で発散していた故林家三平師匠は有名ですが、彼らの気づかいや奇行も商業上のサービス精神と結びついていて、どこまでがつくりで、どこまでが地なのか、本人にもわからなくなっている気味もあったようです。
大喜利で毒舌とキザを売りものにしていた小円遊師匠も、肝硬変で若死にしました。がんらいが小心な照れ屋なのに、正反対のポーズをとるのですから、酒でごまかさねば神経がもたなかったのではないでしょうか。
長いあいだアルコール依存症の人とつき合っていると、彼らには洒の力」借りねば文句のひとつもいえぬという、対人恐怖症的な人が多いことに気づかされます。テレビ対談などを聞いていると、青年期の対人恐怖症を克服して演技派とよばれるようになった名優も少なくないようですが、このような積極的な姿勢をとらず、いたずらに酒に逃避しているのは、あぶない飲みかたなのです。
自虐的な酒も危険
すっかりサラリーマン化した現代の流行作家とちがって、私小説を書いていた戦前の文士のなかには後年アルコール依存症になった人がたくさんいました。
梅崎春生は、酒の入手が困難だった戦時中にも酒を欠かさず、肝硬変で禁酒を命じられていながら飲みつづけました。「火宅の人」を書いた無頼作家檀一雄も、自己嫌悪にさいなまれながら酒と愛欲との自分の生活を材料にペンをとる、すさまじい生きかたをした人です。
情緒不安を静めるトランキライザーがわりに酒を飲むタイプが少なくありません。
破滅型作家の代表の太宰治も、錠剤をガリガリかじりながら自虐的な酒におぼれました。飲むと「恥ずかしい」が口癖で、自殺未遂をくり返したすえに、玉川上水で心中自殺をとげました。
大正から昭和にかけての私小説作家は、自分自身を材料に掘り下げるので、つい苦しくなって酒に逃げたものでしょう。精神分析医となるために、みずから患者となってスーパーバイザーの教育分析をうける訓練がありますが、このようなときに自分の欠点ともろに対決させられてうつ状態になることがよくあります。これも似た状態といえそうです。人間には自尊心があって、自分の欠点はなるべく意識しないようにしています。だからこそ精神衛生がたもたれているのです。
アルコール依存症になる人は、デリケートで、ほんとうは自分の欠点に敏感で、自分のその情けなさが許せないから酒を飲むのでしょう。自分の欠点と適当に折りあえる人のほうが適応もよく、アルコール依存症にならずにすむのかもしれません。