2019年 3月 の投稿一覧

入院治療か通院治療かの判断

外来だけで治療を行うには条件がある

外来治療を希望すればできるというものではありません

入院をしないで外来通院だけで治療

入院治療と外来治療については、ジアゼパムなど禁断症状を抑える特効薬があらわれたので、禁断症状をおこす可能性があっても、薬を服用しながら家庭で治療をつづけることも可能になりました。

ただし、これは、専門医の指導があって、十分に目がとどくという条件つきであり、さらに本人の断酒の決意が固く、かつ体力もあり、四六時中看護する家族がいて、いざというときには近くの開業医の協力もえられるという条件も満たされなくてはなりません。

体力が弱っていたり、内臓の病気があったり、また誘惑にまけて飲む可能性のある人は、専門病院に入院して酒を断ったほうが無難です。

どのような方であれば通院治療が可能であるかです。通院による治療を可能にするにはまず、本人が不承不承ながらも、アルコール外来に診療のために訪れて、自分がアルコール依存症ないしアルコール依存症にかかっていることを認めて、断酒を決意して通院をつづける覚悟が必要です。

いやがる本人をなんとか説得して、外来受診にまでもっていくのはたいへんな作業です。連続飲酒発作の最中や、まだ酔いが残っている場合には、この作業を行うのは逆効果です。

しかし、こうしたときでも本人は「このままではたいへんなことになる」という自覚はもっているものです。だから二日酔いの朝には、その反省によってうつ状態になるのではないでしようか。

妻の心得のようにこうした反省がすこしでもきざしたタイミングをとらえて、本人からアルコール外来の約束をとりつけてください。
または、その前段階として保健所への相談や、断酒会、A・Aに出席する約束だけでもとりつけてください。それでも、本人がどうしても保健所へでかけたり自助グループに参加しない場合は、たとえ家族だけでもさきに保健所や自所グループに酒害相談に行くべきです。
保健所のワーカーや自助グループのメンバーが自宅を訪問して、本人を説得してくれる地域もあるのです。

自助グループの緊急援助

A・Aや断酒会による緊急援助

どのように実施されるか

国内のA・Aや断酒会など、自助グループの活動のスタートは、本場アメリカにくらべて、30年以上おくれました。したがって、緊急援助は個人の熱意によるケース・バイ・ケースのもので、システムとしてはまだととのっていない段階にあります。

これは、その地域ごとに自助団体の組織状況や活動ぶりが、まだまちまちだからといえるでしょう。そこで、地域にどんな自助団体があり、またどんなアルコール専専門の病院や外来があるのか、さらにどんなサービスを受けられるかについては、いちがいにこうとは言えません。自分の居住地に関するこうした情報は、管轄の保健所や精神保健センターがもっています。
まず家族が保健所精神保健センターの酒害相談を利用することをおすすめします。
緊急援助活動もふくめて、必要な情報を教えてくれるはずです。

最初の受診でのやりとり

実際のやりとり

本人が医師の前にあらわれたら、まずどういうやりとりをするのか

なんとかして、アルコール外来に本人があらわれたら、それからは精神科医の腕のみせどころとなります。この、最初の受診での医師の作業は、いかにして本人に自分が病気であるとの自覚をもたせるか、そして断酒への決意をかためさせるか、つまりどのように治療へのモチベイション(動機づけ)を行うかという作業です。

こうした場合、主治医と本人とのやりとりは、主治医←→患者の人格とのふれあいまでがかかわる、とても人間くさい作業となります。
この作業には十二分に時間をかける必要があります。このやりとりで本人に断酒のモチベーションができれば、治療は半分成功したといってもよいのです。反対に、どうしてもモチベーションができないとすれば、外来での治療をつづけていけないことになります。

本人にモチベーションができないときには、2つのやり方があります。まず、緊急に医療をうけさせなければ本人の身体面や社会面に大きな堤が生じるようなときは、入院の説得の切り替えとになります。

また、それほど緊急ではないとみられるときは、いったん本人を帰宅させ、再度のチャンスがきたときに動機づけをやりなおすことになります。

本人が飲酒をつづけた場合、健康面でも社会面でも重大な不利益をこうむる状態にあることを十分に説明し、そのう、冬酒をやめるのは本人の自由であるとつきはなす方針をとっています。つまり、酒をとるか命と仕事と家族をとるかは、本人の自由にまかせるのです。

しかし、こうした段階では、今日は酒をとって明日は命をとる、などのあいまいな選択はもはや許されないようになっています。そして、命と家族をとると本人が決意すれば、医師は、禁断症状や不眠のための精神安定剤や、物理的に酒を飲めなくする抗酒剤などをだすことで、ほんのチョッビリだけ、患者さんの手助けをすることができると説明します。この考え方は、アルコール外来での医師の長い治療経験から得た大切な経験だそうです。

冷たいように聞こえるかもしれませんが、かけねなしの本音であり、決しておどしやかけひきなどのハッタリではありません。
はじめは、「命などもう惜しくない」と強がっている方でも、「ほんとうにそう思っているのなら、どんどん飲んでもいいよ」とつきはなすと、「それじゃやめますから、やめるくすりをください」といいだすことも多いのです。

治療中の再飲酒のきっかけ

やっと治療をすると決めたのに再び飲んでしまう場合も

ふたたび飲みはじめる際のきっかけ

最初は、抗酒剤をのんで断酒していても、いろいろな理由をつけて、すなおにくすりをのまなくなったら要注意です。たとえば、その理由として、抗酒剤の副作用をいいたてるなどです。

たしかに抗酒剤には副作用がありますが、これはごく軽いもので、皮膚過敏症で真夏の紫外線にあたると日光性皮膚炎をおこしたり、ムシに刺されたあとがかぶれやすくなる程度です。

ふつう、七7~10mgの1日量を半分に減らせば、症状は消えます。くすりをやめる理由にはなりません。1もう自信がついた。治ったから」「抗酒剤にたよっているときはほんものではありません。

「おれはそんなに意志は弱くない」「おれをそんなに信用できないか」などという人もいます。これは、かならずしもその日の帰りにお酒を飲もうという下心からいっているわけではありません。

酒飲みは、いつでも飲めるからだにしておかないと、なんとなく心淋しいという心理があります。
こうした場合、アルコール依存症の方の奥さんに「あなたは自信があるのでしょう。しかし、あなたのお酒にノイローゼになっている私(家族)を安心させるためだけでも、抗酒剤をのんでください」と言っていただくようにしています。

「過敏になりすぎている家族の神経を静めるために、のむ必要のない抗酒剤をのんでやるのだ」という理屈で患者さんのめんつを立てると、なんとかくすりをのみつづけるものなのです。

「家族の誓い」でもみたように、日本のアルコール依存症の夫には、「家族のために命よりだいじな酒をやめてやっているのだ」という心理があり、「おれがこれだけがんばっているのだから、子どもはもっと勉強しろ、妻ももっと心のこもった料理をつくれ」と、家族ぐるみの協力を要求する傾向があります。

日本では、「夫のアルコールは、夫自身の問題だからA・A のミーティングで。それでかき乱された私たちの問題は、アラノンのミーティングで」と、夫婦のアイデンティティが分離したアメリカのようにはとてもいきません。とくにこれは、旧世代の夫婦にあてはまる傾向が強いです。

日本では、夫の断酒でとりもどした家庭の平和をしごくとうぜんのこととは思わずに、夫が命よりだいじな「酒断ちの業」を行っていることへの理解と思いやりとを、いつまでももちつづける家族の存在が、患者さんの断酒を長つづきさせているともいえるのです。

ところで、はじめにあげた夫の理屈やおどしに負けて抗酒剤をやめるのを黙認すると、そのうちに患者さんは会社の帰りにこっそりお酒を飲み、こそこそとふとんにもぐりこむようになります。
少なくともこの段階で、夫の再度の飲酒ときっばり対決して、アルコール外来にひっぱってきてください。ここで断酒の再動機づけをやりなおす作業をついおこたると、つまりは妻が飲酒を認めたことになり、つぎからは居直ってどうどうとお酒を飲むようになります。

そして妻に週1日の飲酒日を認めさせるのです。やがて、週末だけの約束のはずのお酒が、週2日になり、週3日になり、ついには毎日になって、あっという間にもとのもくあみになります。

治療での禁酒のもつ意味

アルコールを控える程度では依存症は治らないのは

1滴でも飲んではいけない

アルコール外来にひっぱってこられるようなアルコール存症の方は、適当なところでお酒を切りあげる(つまり節酒)ことができなくなっているからこそ、病院のお世話になるのです。

連続飲酒発作がどうしておこるのか、その生物学的な背景はまだ明らかではありません。しかし、依存をおこすメカニズムがいったん大脳にすりこまれてしまうと、一滴でもアルコールがはいればふたたび逮続飲酒発作がひきおこされるようになります。

人一倍強い飲酒への誘惑にたとえ、1度でも負けると、いままではせっかく抑えこんでいた「からだのなかの酒の虫」がとたんにあばれだします。

例をあげておきましょう。アルコール病棟に入院して9年間断酒に成功していた人がいました。ところが、彼が宴会でトイレにたったすきに、悪い仲間がその人のコーラにウイスキーをたらしこむという罪深いいたずらをしたのです。
その結果、その人は10後からくるったようにお酒を飲みだし、再入院になってしまいました。

この事例から、長いあいだ断酒していたアルコール依存症の人でも、たとえ1滴でもアルコールを飲むと「からだ中の血が騒ぎだしておさまらない」という恐ろしさがあるのです。

もともとアルコール依存症になるような人は、飲みたいという心理的欲求が異常に強いのです。すでに何度か触れましたが、その欲求行動にブレーキをかけているのは、意志の座である大脳の前頭葉です。

アルコールは薬理学的にみると麻酔剤であり、しかも神経学的に高次なはたらきをもつ大脳新皮質から麻酔していきます。
つまり単にたとえれば、アルコールはブレーキをこわしてしまうのです。ですから、ふつうの酒飲みでも、つい、もう1杯もう1杯とあとをひきます。

人一倍飲酒欲求が強く、依存のすりこみができあがっているアルコール依存症の人で、このブレーキが外れれば、たちまち暴走して谷底に転落死するまで酒がとまらなくなるのは明らかでしょう。

アルコール依存症の治療は、ほんとうは節酒でやれるのが理想です。しかし、このようなわけで、実際には選択の余地はありません。一生びしゃりと断酒して生きのびるか、飲みたいだけ飲んで生命を失うかアルコール依存症になった人には2つに1つしかないのです。それほどきびしい治療なのです。

断酒成功と抗酒剤

生涯断酒を続ける人生

生涯にわたる断酒をつづけるうえで、抗酒剤の役割

生涯にわたる断酒をどうつづけていくかこれを助ける方法には

  1. 抗酒剤におって体が物理的に酒を受け付けなくする方法
  2. 心理的に飲めなくしていく自助グループへの酸化

があります。

物理的に飲めなくする抗酒剤の場合、少なくとも半年単位でくすりをのむ必要があります。というのは、アルコール外来にくるような人は、長いあいだの飲酒で前頭葉のはたらきが麻痺して、怒りっぽく、ブレーキのかからない旧皮質人間に人格が低下しているからです。

こうした人から、アルコールがすっかり抜けて、前頭葉のはたらきが回復してくるには、最低でも3ヶ月はかかります。理性の座である大脳新皮質が欲求行動の発動の座である大脳辺縁系(旧皮質)にたいしてブレーキをかけているしくみにおいては、アルコール依存症の方は、完全に断酒してから少なくとも3ヶ月以上たたないと、この前頭葉のブレーキが回復してきません。

入院した患者さんは、禁断期を脱してからも1ヶ月はいらいらと怒りっぽい時期(刺激期)がつづき、やっといちおう落ちついて退院するまでに、少なくとも3ヶ月はかかるのです。
しかし、その後も1年近くは、お酒を飲んでいたころに身についた自己中心的・独善的で浅薄な対人関係のゆがみが残ります。

A・Aではこれを「ドライ・ドランク」といいますが、お酒をやめていても、以前の酔っぱらっていたときとおなじような考えかたや行動がしばらくつづくと考えなければなりません。

自助グループ参加のときのこころがけ

必要な心がけの知識

自助グループへの参加にさいし欠かせない心がけ

自分の対人関係のゆがみに気づくには、断酒会の集会で他人からそれを指摘されたり、あるいは新人の発言にかつての自分の姿をみる「ミラー効果」などが役に立ちます。

また、A・Aは12のステップで段階的に対人関係のゆがみを認識し、改善していくプログラムをもっています。お酒による性格のゆがみが消失して、まるで別人のようになったケースは多数あります。

うわべだけのきれいごとではなく、腹のなかを洗いざらい集合でぶちまけるという真剣なとりくみをする人にとって、集会はエンカウンター・グループ(集団心理療法のためのグループ)も及ばぬ効果をあげるのです。
また、依存症になるような人は、内気で、素面では文句のひとつもいえないような神経症的な傾向をもった人が多いものです。

こうした人が集合のなかで発言できるようになると、対人恐怖的な弱点が克服されて自信がつき、みるみるうちに明るくなります。このように、理性のはたらきが徐々に回復し、対人関係のゆがみが改善されるまでには、少なくとも1年間はかかります。本人にとってはあせらないことがとても大切ですし、家族にはその回復を温かく待つ忍耐が必要です。
また、そのあいだにストレスから再飲酒に走ったりしないように、抗酒剤を1年近くのみつづけたほうがよいでしょう。

断酒と生活上の注意

断酒をできる限り成功させるために

断酒成功のための生活上での注意

アルコール依存症の患者さんが命よりだいじなお酒を長期間断つためには、アルコールに依存してきたこれまでの生活態度をまるまる180度かえる決意が必要です。ことに、依存症の人には趣味のない人が多く、素面の時間をどうすごしたらよいかわからなくて悩むことが多いようです。これには

  1. いつもお酒を飲んでいたので、趣味を開発する時間がなかったケース
  2. もとは趣味をもっていたのに、お酒によって趣味から遠ざかっていったケース

の2種類があります。

もともと趣味のあった人はその趣味にもどればよいのですが、趣味のなかった人の場合、趣味や新しい生きがいをみつけさせる必要があります。

現代はストレス過剰の時代です。趣味やスポーツなどで毎日気分転換して、こころの復元力をつけないと、ふつうの人でもたちまちストレスから精神異常の水中に沈められてしまいます。

もともとアルコール依存症とは、消極的な発散法、つまり飲酒にたよりすぎ、それが仇になってついに精神病レベルのもっとも重い不適応をおこしたものです。

幸いに正常の状態に浮上できたら、こんどこそ「飲む、打つ、買う」の三道楽ではなく、その上のレベルの積極的な適応法で日ごろのストレスを発散してください。

そうしないと、また飲酒への逃避におちいってしまいます。「すまじきものは宮仕え」といいますが、たいていのサラリーマンは職場で欲求不満を味わわされるものです。そこで、サラリーマンは欲求不満によるストレス解消のために、積極的な適応法が必要なのです。

もっともよいのは、なにかをつくること、つまり創作・創造的活動です。銀行員にして作詞者であった小椋桂のような才能はないとしても、最近流行の自分史を書いたり、あるいは短歌や俳句をひねる手もあるでしょう。

娘のつかい古しのピアノで作曲すれば、あんがいヒット曲ができるかもしれません。目と指をよくつかう画家は、高齢になっても活躍している人が多く、「日曜画家」をめざせば、ふだんから脳の老化防止を行っていることにもなります。

創作的活動は、このように「自己実現欲求」をおおいに満足させますが、それにつぐものは趣味やスポーツです。会社の帰りに会員制の高級スポーツクラブにたちよる余裕はなくとも、帰宅して畳の間で愛用の釣竿を伸ばして目を閉じれば、渓流のせせらぎがまぶたに浮かぶなど、ちょっとした時間とくふうで気分転換はできるものです。

雨が降れば庭でクラブは振れませんから、碁や将棋などの室内遊戯をたしなむのもよいでしょう。若いころに修行をつんで上達しておけば、プロ棋士とまではいかなくても、盤上でちょっぴり自己を実現する芸の境地を味わうこともできます。

よい趣味をもつことは将来のボケ防止にも役立ちます。そこで、戸外と室内2つの趣味をもち、同時に頭脳系と筋肉系をくみあわせるなどバラエティーに富んだ趣味をもつのがベストなのです。

また毎日の気ばらしだけでなく、週末のテニスやバードウォッチングなどのほか、盆や正月には大旅行にでかけるなどのふんぎりも必要です。

治療は本人が酒をやめれば100%治ることが大前提

アルコール依存症の治療の問題点

治療をおこなうにあたっての問題点

アルコール依存症の治療が難しいといわれる理由

精神病には、アルコール依存症のように体の外から入ってくる化学物質によっておかしくなる外因精神病と、多分に素質などがかかわっている分裂病などの内因精神病とがあります。

そのなかで、アルコール依存症ほど原因と治療法の明らかな病気はありません。なぜなら、アルコール依存症をひきおこした本人がお酒を飲まないようにすれば、それだけでいっさいが解決するからです。しかし、これぐらい簡単でありながら、しかも難しい治療はない、ともいえます。

なぜなら、コンビニや自動販売機でお酒はいつでも手に入るからです。どんなに苦労して治療しても、アルコール依存症の人が、1滴でもお酒を口にすれば、それまでの断酒は水の泡となり、ずるずると飲みつづけて精神病院に再入院することになってしまいます。アルコール依存症では、いわば四六時中、一瞬も気の抜けぬ自分の欲望との戦いが続くのです。「禁煙」と貼り紙して、3日ももたずタバコを手にする人はたくさんいますが、これと同じで、生涯にわたって禁酒をつづけられる人は少ないのが現状です。

禁断症状などの急性期の医学的治療は進歩していて、医師の管理のもとに上手にお酒を離脱できるようにはなっています。しかし、慢性期のアルコール依存症のアフターケアや精神療法、社会療法には、障害がまだたくさんあり、これがアルコール依存症の治療を難しくしています。

急性期の治療

急性期=禁断期

急性期の治療はどのように行われるか

病跡学という学問によれば、エドガー・アラン・ポーは、場末の酒場で禁断症状をおこして死亡したことがわかっています。禁断期には激しい興奮がおこるので、かつては精神病院の保護室に収容しなければなりませんでした。しかし、この恐ろしい禁断症状に、抗不安剤であるジアゼパムやニトラゼパムが特効的に効くことがわかってきてから、急性期の治療はかくだんに容易になりました。

日本国内初のアルコール専門病棟には、以前はこの禁断症状のための保護室がいくつかつくられていました。しかし、当時ちょうど開発されたばかりのジアゼパムの注射を入院患者にしたところ、禁断症状をおこす人は1人もいなくなりました。

またかつては、虫垂炎の手術で入院した人などが、急に断酒することになった結果、手術後1~2日めから禁断症状をおこして大騒ぎし、精神病院に転院することも多かったものです。

最近では外科医のほうでも心得てきて、大酒家にはあらかじめジアゼパムやニトラゼパムをのんでもらっておくので、禁断症状はまったくおこらないか、万が一おこっても軽くすみ、外科病棟で十分管理できるようになりました。

禁断症状がおこった場合の治療は、入院当初の3~4日間はジアゼパム(ホリゾン、セルシン) 30mg を3回に分けてのんでもらい、また就寝前にはニトラゼパム20mg をのんでもらいます。体力の弱っている人やお年寄りには、状態をみながら2分の1~3分の1の量に加減します。

くすりをのめない場合は、点滴にセルシンの注射薬を混ぜます。これでせんもうの生じやすい離脱初期をうまくやりすごせたら、徐々にくすりを減らしながら禁断期とそれにつづく刺激期までくすりを続けます。

禁断期の治療が安全になった原因は、この特効薬のほかに、点滴によって禁断期の脱水症状や電解質バランスのくずれを容易に調節できるようになったこともあげられます。

刺激期の治療

急性期を乗り越えると

また飲みはじめてしまう人とやめられる人とは、どこで分かれるか

禁断期が1~2週間で終わったあとの入院1ヶ月後まで、ほとんどの人が不眠を訴え、いらいらして怒りっぽくなり、しまいにはくすりや注射、または外出を要求して落ちつきません。
これを「刺激期」といい、看護師をこまらせます。この刺激期は薬物依存症の人の特徴で、からだがまだアルコールを要求している時期であることを意味しています。

この時期に医師が根負けして外出許可をだしてしまうと、100% 外でまたお酒を飲んでしまいます。その結果、またふり出しの禁断療法からやりなおしたり、そのまま事故退院になってしまいます。

この時期には、精神安定剤を適当にのんでもらいながら、要求を適当に受け流さなくてはいけません。医師は、アルコール依存症の人の体内を身体依存の嵐が通りすぎるまで、忍耐強く待つのです。

刺激期をすぎると、人が変わったかのように落ちついておとなしくなります。そこで、これまでの飲酒について反省させて、精神療法に導入したり、また、抗酒剤をのむための動機づけを行ったり、退院後につながるアフターケアへとつなげていきます。

入院治療と家庭治療の分岐点

入院して治療すべきかどうかの判断、自宅でも可能か?

入院しての治療、家庭での治療はどこで判断すればいいか

ジアゼパムなど禁断症状を抑える特効薬があらわれたので、禁断症状をおこす可能性があっても、薬を服用しながら家庭で治療をつづけることも可能になりました。

ただし、これは、専門医の指導があって、十分に目がとどくという条件つきであり、さらに本人の断酒の決意が固く、かつ体力もあり、四六時中看護する家族がいて、いざというときには近くの開業医の協力もえられるという条件も満たされなくてはなりません。

体力が弱っていたり、内臓の病気があったり、また誘惑にまけて飲む可能性のある人は、専門病院に入院して酒を断ったほうが無難です。

アルコールが切れないように酒びんをかかえこんでいるような身体依存の段階は、やめようと思ってもからだが勝手に酒を要求している状態です。それに、元気そうにみえても、日時や場所の感覚がおかしかったり、意識が少しくもっていて、また足がとられて歩けないような人は、この禁断期に急死することがあるのです。

とにかく、アルコール依存症の人は、自分の体力の限界まで飲みつづけるので、禁断期にはなにがおこるか予測できません。つい誘惑にまけて酒びたりになって、原因不明の急死をとげた断酒会員の事例も決して少なくはないのです。

いまは共働きの家庭も多く、四六時中看護してくれる家族はなかなかいません。また、まさかのときに往診してくれる開業医も少なくなってきました。ですから、家庭で禁断期を乗りきるのは条件的になかなか難しくなってきています。家庭で治療できるケースは希だと思っていて間違いありません。

抗酒剤の処方

抗酒剤のもらい方

抗酒剤でそのうちお酒がきらいになるか

抗酒剤(シアナマイド)をのむと、そのあとしばらくお酒を飲めない状態にはなります。したがって、物理的に酒を飲めなくする抗酒剤だけの治療では、当然のことながら限界があります。それは、酒を嫌いにするくすりではないので、本人が薬をやめればすぐに酒が飲める体にもどるからです。

アルコール依存症の方は、はじめはきちんとシアナマイドをのんでいても、しばらくたつといろいろな理由をもうけて、この薬をのまなくなります。

酒飲みは、酒を飲める体にしておかないと、なんとなくさびしいのでしょう。そして、週1回の「飲酒日」を家族に認めさせ、やがてその週1日が2日になり3日になって、再入院になるケースが多いのです。抗酒剤だけの治療で、5年後も酒をやめていた人は、わずかに数% です。
抗酒剤のその惨たんたる成績は夢のくすりにたいする幻滅をうみ、アルコール依存症は精神科治療の対象にはならないという誤解が生じました。

こうして昭和30年代後半アルコール病棟で新しい治療法を創設するまで、病棟のお荷物的存在のアルコール依存症と精神科医との不幸な対立関係がつづいていました。

考えてみると、アルコール依存症は、もともとこころの病気です。物理的に酒を飲めなくする抗酒剤はあくまで補助手段であって、本人がきっぱり酒をあきらめる決心をつけ、その動機づけを長つづきさせる心理療法が基本になります。

アルコール依存症治療の入り口

家族療法と集団療法

アルコール依存症の治療のすすめられかた

アルコール依存症の治療は、患者の奥さんがまずパニック状態になって来院し、危機介入のかたちで家族療法からはじまることが多いものです。

そして、本人への治療の動機づけを、親戚や友人、上司、ケースワーカー、断酒会員と手をかえ品をかえて行い、外来で断酒できない場合には入院にまでもっていきます。
この場合、非指示的な手法が通用するはずはなく、臨機応変で指示的な手法が必要となります。

無事、本人を入院させてからも、こじれきった家族関係の調整や修復、治療への家族ぐるみの協力体制の確立などを本人の退院までにすませておく必要があります。

また本人については、飲酒に逃避し社会的不適応になっていた自分の問題点を入院中に十分に内省させ、整理させておかねばなりません。つまり、アルコール症の治療は家族ぐるみの治療であり、場合によってはいろいろな精神療法のテクニックをつかい分ける柔軟な対応が必要とされます。

このため、精神療法では限界があります。精神分析が有効なアルコール依存症はわずか6.7% にすぎず、それも社会的に高い階層の人ににかぎられるといいます。
このように、分析医からもカウンセラーからも見放されたアメリカのアルコール依存症の患者さんが自らはじめたのが A・A ( アルコホーリクス・アノニマス )でした。

アルコール依存症の集団療法は、 A・A を参考にまず精神病院内のグループ療法として手さぐりではじめられた歴史をもっているのです。もちろん、アルコール依存症の精神療法は、はじめ個別に行う必要があります。

しかし、断酒をつづけるための意志の強化、自己の性格傾向への内省、家族教育もふくめて、集団療法が個別療法よりもさらに効果的であることが経験的に明らかとなってきました。

アメリカの精神科医の77% がA・Aに治療を委託しており、わが国にあっても、断酒会は1979年から国の酒害相談事業にとりあげられるまでになりました。

入院によるアルコール依存症の治療

入院治療によるアルコール依存症の治療

入院した場合、どのような治療が行われるか

アルコール依存症の治療はかなり以前から入院中心で行われてきたにもかかわらず、禁断期後の人の精神面については、アルコール依存症=性格異常との考えから何のはたらきかけも行われず、それが医師・患者関係の相互不信の不幸な歴史をつくってきました。

アルコール依存症は精神療法が可能であり、治療できる精神科の病気であることが認識されたのは、1963年にわが国ではじめてのアルコール専門病棟として設立された国立療養所久里浜病院で、のちに久里浜方式とよばれて全国のアルコール病院のよきモデルとなり、斬新・画期的な入院方式が実施されてからです。

それまで鉄格子のついた精神病棟に分裂病の方々とごっちゃに押しこめられていたアルコール依存症の方をアルコール治療専門の開放病棟に収容し、かつ外来の問診で入院の動機づけがあるものだけを3ヶ月という期間限定で入院させたのです。

この新方針は、十分な病気の自覚も入院の動機づけもないまま無期限に抑圧的環境にとじこめられていたアルコール依存症の方の積年の情感を解消し、治療者との信頼関係がはじめて樹立されたのです。

この方式では、禁断期から刺激期をへて落ちつくまで約1ヶ月かかるので、その後、2ヶ月のリハビリ期間をとることができます。このリハビリ期間は、作業療法を中心とした生活訓練の期間です。そのスケジュールは患者さんの自治活動にまかされました。

アルコール病棟ではいったいどんな治療が行われているのでしょうか?患者さんは朝6時に起こされ、夜9時の消灯までびっしりつまったスケジュールに追いまわされ、おまけに月1回、まさに「行軍」とよぶにふさわしいハードな遠足に参加させられます。

酒を飲んで自堕落な生活を送っていたアルコール依存症の方に、早寝早起きの健全な生活リズムを思いおこさせるのになによりの方法だったのです。
とくに、そのころの入院患者さんの多くが旧軍隊体験者であったこともあって、「行軍」ということばはまさにぴったりでした。

彼らは幼年学校出身の若き日の師にひきいられて、軍歌を歌いながら鷹取山を往復し、軍隊時代を思いだして新生活への再起を誓ったのです。

この「行軍」はとくに人気のあった行事で、退院してからもこの日に特別参加する人が少なくありませんでした。

彼らの多くは、いま各地の断酒会のリーダーとなっています。その後、アルコール専門病院がふえましたが、おもしろいことに、それらの病院でみな、この「行軍」という行事がそのままの名でとりいれられています。

入院治療や断酒会体験と軍隊体験とのもうひとつの共通性は、両者とも個人のそれまでの社会的経歴がまったく否定される、はだかの人間のつきあいである点です。軍隊では、大会社の社長もいったん兵営の門をくぐれば新兵として扱われ、いままであごでつかってきたような階層の古兵のいわれなきビンタをうけねばなりません。

おなじ酒害者の自助団体でも、アメリカ国民のドライなA・Aと、わが国のウエットな断酒会では雰囲気がまったく異なるのは、こうした合成立のいきさつも影響しているのでしょう。
このように、わが国はじめてのアルコール依存症センターで断酒会とのタイアップがはじまってから、アルコール依存症の治癒率がかくだんによくなってきました。国立療養所の約3割が、7年後も断酒をまもっていますし、同様の治療を行う病院の予後調査もおなじような成績を示しています。

アルコール依存症の外来治療

生活習慣病、ガンなどは早期発見、早期治療が重要です

アルコール依存症をもっと早期に発見して外来で治すことは可能か

抗酒剤をだしてくれる医療機関が少なくて会員がこまっていると問題になりました。そこで、1972年からアルコール外来をはじめることになりました。

当時はアルコール依存症に対する医師一般の理解がおくれていて、アルコール依存症の方を敬遠する精神病院も多かったのです。このアルコール外来には重症のアルコール依存症の方もやってきました。しかし、すぐに入院させてくれる病院はなかなかみつかりません。そこで、やむなく禁断症状がでているケースでも外来でジアゼパムなどをだしつづけているうちに、その禁断症状がなくなり、無事に断酒会に入会させることができた症例も数多く経験できました。

以来、アルコール依存症の治療において、まず外来治療を原則としています。入院させるのは体力が消耗していて禁断症状により生命の危険が予想される人、断酒の動機づけが甘くて入院による教育が必要な人、および家族に看護する余力がない人などにしぼっています。

このような方針をとると、従来なら入院のようなケースでも、約半数以上を外来だけで治療できるのです。重症例をふくむアルコール依存症患者のグループを外来で治療した結果、4年後にはその約30% が断酒に成功していることがわかりました。

ここで、当時のアルコール外来のようすを説明しておきましょう。当時の川崎駅周辺は、泥酔して道路で寝こんでいるアルコール依存症の人も多く、「酔っぱらいの入店お断り」の看板が目立つ土地柄でした。精神衛生センターは、その駅から2~3分のところにあったので、開設早々から大繁盛でした。

このセンターには小部屋がたくさんあったので、まずそのひとつを断酒会の事務所兼酒害相談室に提供しました。アルコール外来日には、そこに1日中断酒会の会長がつめて、相互にケースを紹介しあう方式にしました。

アルコール外来から断酒会に紹介したケースの患者さんの定着率がよかったのは、このソーシャルクラブ的機能が、はじめはとっつきにくい断酒会例会への触媒としてはたらいたためと考えています。最近、私は三年ぶりにアルコール外来を再開することになりましたが、現在の患者さんのなかにも、例会にはでないが、この談話室にだけは寄って話しこんでいくといぅケースがふえています。

アルコール依存症の治療においてもっともたいせつなのは、そこでくすりをもらうとともに、仲間にも今えるというソーシャルクラブ的機能をとりこんだ街中のアルコール・センターの存在と思われます。こんにちでは、当時にくらべてアルコール依存症の治療システムはかくだんに整備され、また関係者の理解もすすんできました。

現在、全国各地の保健所は、その地域のアルコール専門病院や断酒会やA・A の本部やその集会の情報をもっており、会とタイアップして相談にのっています。

最近は酒害相談も普及してきました。そこで、早期に専門的な治療をうけるケースがふえて、思いあまった妻子が酔いつぶれた患者をしめ殺すような、かつての悲劇はみられなくなりました。

また、断酒会員のなかにも、精神病院の入院経験のある重症者は少なくなってきています。しかし、その反面、比較的らくに酒をやめた新入会員は、苦労が少ないぶんだけ、また気軽にお酒を飲みはじめる傾向もあるようです。ともかく、酒飲みが好きな酒を一生のあいだやめつづけていくのは、たいへんな事業です。軽症のうちに、気軽に酒害相談に行かれることをおすすめします。

断酒会の具体的活動

依存症の患者の治療成功のカギとなる断酒会

主な活動内容

断酒会は、酒害者とその家族の自助組織であり、ソーシャルクラブ的な組織です。そのおもな活動は、定期的に開かれる「例会活動」と新規入会者にたいする「酒害相談活動」とに要約することができます。

例会活動

精神科医がまず注目したのは、すでに触れたように酒害者同士が定期的に集合をもつ「治療型集団」としての役割でした。
「同病相憐れむ」ということばではありませんが、アルコール依存症の酒害者だけが集合をもつと、いままで孤独で病と偏見とに苦しんでいたアルコール依存症の方に、まず仲間にうけいれられたという共感と安心感とがえられ、いままで抑えつけられていた情緒が開放されて精神的に安定します。

精神的余裕ができると、新人の患者の言動にかつての自分の姿をみる「ミラー効果」や、飲まねば口にだせなかったうっぶんを集合で話すという「カタルシス効果」などによって、自分の問題点にたいする自己洞察が生まれて、人格的に向上していきます。

すなわち、集会が自発的な集団療法の場になるのです。専門の治療者をおかない酒害者だけの等質集団であるため、かえって腹をわって討論ができ、また治療者への依存性が生じない利点もあります。
ここで、まだ断酒会の集会を見学したことのない方のために、集合のようすをざっと説明しておきましょう。

断酒会は発足当時は合貝も少なかったので、会員の自宅で行われる家庭例会が多かったようです。会員数がふえて行政や医療関係者が援助するようになってからは、集合は保健所の講堂や公会堂などの公的機関を借りて行われるようになり、集まる人数も多いところでは50~60人に近くなっています。日本の断酒会の形式はA・A とよく似ています。

高知の断酒新生会では、連鎖握手の前に「断酒の歌」を斉唱するなど、各地によって多少のバリエーションはありますが、全国各地の断酒会の集会の進行は、ほとんどおなじです。「心の誓い」や「断酒の誓い」は、わが国向きにアレンジしたつぎのような文句です。

断酒の誓い
  1. 私共は酒の魔力に捉われ、自力ではどうにもならなかったことを認めます。
  2. 私共は過去の非を悔悟し、今までに損ったすべての人々に及ぶ限りの償いをしたく願います。
  3. 私共は同病相憐れみお互いに助け合って酒癖を克服しっつ雄々しく新しい人生を建設します。
  4. 私共は過去の朋輩やその他酒癖に悩む人々を救い出すために、できるだけの篤志奉仕につとめます。
  5. 私共は宗教政見の異同を問わない同志の、自主的な互助団体として断酒会を守りぬきます。
心の誓い
  1. 私は断酒会に入会して酒を止めました。
  2. れからどんなことがあっても酒でうさを晴らしたり、卑怯な真似はいたしません。
  3. 私は今後、午後酒を飲みません。
  4. 多くの同志が酒を止めているのに、私が止められないはずはありません。
  5. 私も完全に酒を止めることができます。
  6. 私は心の奥底から酒を断つことを誓います。

こうした一連のセレモニーのあとに、会員間の自由な話し合いが行われるのが、断酒会やA・Aの集会です。

連鎖握手とは、全員が最後にまるくなって手をつなぎあい、「もっと賢く」「もっと堅く」「もっと真剣に」「やろう」「やろう」と一旬ずつ斉唱しながら、つないだ両手をふりあげて万歳の型をとり、全員の連帯感を強調する儀式です。

はじめて出席した見学者が、まずとまどうもののひとつです。見学者は一様に、断酒会の一種独特の雰囲気を述べます。この集会の形式は、各地の事情に合わせて、最後の連鎖握手の代わりに「心の誓い」の斉唱をもってくるなど、時とともに簡略化している傾向があります。

酒害相談活動

断酒会のもうひとつの重要な活動は、酒害相談活動です。これは、集会に参加することで酒をやめられた幸福を、おなじ酒害で悩む新人の相談にのることで分かちあたえていこうというボランティア活動です。

断酒会の先輩格であるA・Aもおなじ活動をやっていますが、いずれも宗教の布教活動とよく似た動機をもっています。しかしキリスト教圏に生まれた A・A の集合に、さかんにゴッドやハイヤー・パワーなど濃い宗教色がでるのはあたりまえとしても、わが国の断酒会では宗教をもちこまないというとりきめがあります。

断酒会と A・A という2つのアルコール・グループの優秀な治療効果は、彼らの集合が集団療法的な場としての治療型集団であるのと同時に、その実践の場である酒害相談で「行動型集団」としての二重のはたらきをもつからです。
要は、ことばよりもまず「断酒道における実践」を重んじる集団です。

会に直確かあるいは保健所のケースワーカーを通しての新ケースの相談があれば、熱心な会員がたとえ夜間や休日でも患者さん宅を訪問して、緊急援助を行う場合があります。

アメリカのA・Aは、「命の電話」のように、パニックにおちいった患者さんがA ・A支部に電話をすると、ただちに会員がかけつける24時間制の緊急サービスをモットーにしています。

しかし、わが国の精神科の緊急医療システムはまだ未整備なので、アルコール依存症の患者さんにたいする緊急援助は断酒会も日本A・Aもまだ個人的段階で行われているにすぎません。

断酒会は、このほかにもいろいろな活動プログラムをもっています。ところで、断酒会のモットーである「実践」とは、断酒をまもるのはもちろんですが、会のさまざまな活動にきちんと参加することを意味しています。
所属する断酒会が開く集会には欠かさず出席し、酒害相談活動にも参加して新人への援助を行い、毎月のように企画される会の行事に積極的に参加することが強く求められます。

ときどき、新聞などで、断酒会が正月に1升ビンを割って断酒を誓う「酒なし新年会」の写真が報道されたりしますが、このほかにも、夏には家族連れの海水浴、秋には、はぶどう狩りのバス旅行、そしてクリスマスパーティーや除夜の鐘をきく合などと、毎月行事を切らさぬように企画係が知恵をしぼっている断酒会が多いのです。

そうした幹部のひとりは私に、「われわれはこうして終始なにかやっていることで、かろうじて酒をやめていることができるのです」言いました。彼の認めているとおり、活動型集団としての治療効果はきわめて大きいのでしょう。毎週のように開かれる集会が、治療型集団としてはたらいていることは、以上に述べたとおりです。

そして、その集合に出席することそのものが、断酒会でなによりも重んじられる実践行動なのです。

断酒会は活動型集団としての性格をもつので、集会や行事への参加がなかば強制されるなど、その集団の雰囲気は拘束的です。また命令的な会長や支部長が多く、参加者の地位関係は上下関係が強い軍隊的な一面をもっています。

しかし、なかば拘束的に出席させられた集会は、おたがいを認めあい、平等で自由に発言でき、会員の友好を強化する場なのです。
つまり、活動型集団の実践として集合への出席を強要すればするほど、集会において治療型集団としてのはたらきがよくなり、会員間の緊張や不満もなくなって集団の統一がすすむという、よいめぐりあわせが生まれるのです。

断酒会がこうした相補的な二重機能をもつ多機能集団であることが、その強力な治療効果の秘密ではないのでしょうか。

●全日本断酒連盟
URL:https://www.dansyu-renmei.or.jp/