道徳的観点に惑わされない

スクリーニングテストの結果だけでギャンブル依存症の有無がわかると勘違いしている人もいますが、それは間違いです。

第一にDSMは元来、精神科医が本人と対面しながらチェックするもの。自己評価だけで依存症かどうかを軽々に判断しないようにしてください。

一方、SOGS については5点以上の人はギャンブルに対するのめり込みが強いのですが、そこには単にギャンブルを愛してのめり込んでいるだけで、精神的な問題を深刻化させる自己矛盾がない人も含まれています。それなのにスクリーニングテストの結果のみで「○項目のうち、○以上当てはまったら、あなたはギャンブル依存症」という単純極まりない早合点をしてしまうと、太人とまわりの関係者を苦しめるだけです。

実際、SOGS 5点以上の人のなかでDSM に基づく医師の診断の結果、ギャンブル依存症という診断がつく人は75% にとどまることが調査でわかっています。

残りの25%は間違って評価されている可能性が高いのです。ギャンブルの負けをとり戻そうと思って「明日は勝つぞ、いや明日は絶対に勝つはずだ」と強く思ったとしても、それは単純にギャンブルにのめり込んで冷静な判断が下せなくなっているだけ。

自己矛盾はありません。自分はとにかく勝てる、いつかこの借金を返せるという思い込みを持つことは病的でもなければ、ギャンブル依存症でもありません。それは人気漫画で映画化された「釣りバカ日誌」の主人公ハマちゃんが「いつかは誰も釣ったことがない大物を釣るぞ! 」という夢を抱いても、誰もハマちゃんを病気とはいわないのと同じ。

妄想でも勘違いでも、夢を持つことは誰も否定できません。依存の対象がギャンブルやアルコールなら病気で、釣りなら健全そうだから病気ではないというのは、医学的にみてフェアではありません。

医学的に人間の精神病理的な心の在り方として、病気か病気でないかという議論は非常に重要です。釣りはOKでギャンブルはNGというなら、朝からパチンコ店の前で行列をつくる人たちは病気で、ハマちゃんのように休みの日にチャンスさえあれば釣りをするのは病気ではないということになります。

それは道徳的な観点から下される偏った判断であり、医学的・精神病理的な概念とは異なる価値判断です。釣りは大自然のなかで楽しめる素晴らしいスポーツだといいますが、仏教的にみるとすさまじい殺生。キャッチ・アンド・リリースなら殺生ではないという主張もあるようですが、口内に鋭い針を引っ掛けられてエサが食べられない重症を負わされたのに、何事もなかったかのように針を外して「さようなら、ありがとう」といわれるのは魚の立場になったらやり切れません。

それならまだ焼いて食べてくれたはうがマシかもしれません。釣った魚を焼いて食べると決めたら当座食べる分以上は釣りませんが、ゲームフィッシングはどんどん釣っては離して、釣っては離してを繰り返すのですから、殺生以上にひどい話ともいえます。
生き物の命を娯楽に利用してもてあそぶことに比べたら、パチンコ玉でパチンコ店を儲けさせるはうがまだマシではないかと思うことがあります。

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