ひとつの生き方でもある

「ギャンブルが人生の中心」という依存症者の行動が受け入れられない家族や周囲の人たちは、それに無理についていく必要はありません。夫婦なら離婚できますし、親子関係だって一定期間交流を絶てば、民法上「絶縁」にしてくれます。

緑を切られた依存症者は、不幸なケースではそこから自滅の道をまっしぐらに進むでしょうが、それで本望でしょう。厳しいことをいうようですが、ギャンブルをしたいのが真の欲望であり、無上の楽しみだとしたら、とことんのめり込んで最後は破滅してビルの屋上から身を投げる末路が待っていたとしても致し方ありません。

命を賭けるくらいギャンブルが好きなら、それはそれでひとつの生き方として受けとめるのです。家族を顧みないで仕事や芸術に打ち込む人生は素晴らしくて、家人から緑を切られてでもギャンブルに没頭する人生はつまらないとはいえないでしょう。

ギャンブルが好きで好きでたまらなくて、自己矛盾もまったくない人たちが経済的に破綻してギャンブルができなくなり、離婚されたり独りになったりして破滅の道を歩むとしても、それはそれで詮無きこと。そこに口を挟むのは医学の領域を超えて、哲学や宗教が救済すべきテーマになるのです。

しかし、本心からギャンブルに人生を賭けている人はいませんでした。おそらく本当にギャンブルを愛している人は、大切にギャンブルをしているはずです。

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