ギャンブルを禁じない

若者に多い「将来展望喪失型」

20歳代のギャンブル依存症の典型に将来の展望が描けなくなり、無気力になってしまう「将来展望喪失型」というものがあります。

とくに学生時代にスポーツなどへの熱中体験があった人に多い印象があります。大学を出て一応就職をしてみたけれど、思っていた企業とは違うし、思っていた仕事ではなかった。自分にはもっと合う会社、合う仕事があるのではないか… 。

そう考えて鬱々としている精神状態に耐えられなり、ギャンブルに現実逃避するのです。将来を考えると不安なのに、ギャンブルをしている間は生き生きとします。ギャンブルに集中している間は一時的に生きる意味が感じられるので、手っとり早い現実逃避の手段となるのです。

こういう若年層の多くは無気力で、欲望そのものが曖昧です。私たちが彼らの欲望を探ろうとしても、「なにをしても面白くない」「寝てぼうっとしているだけでいい」などといった答えが返ってきます。こうした無気力な将来展望喪失型は、正規で就職している人にもフリーターや非正規雇用者にも同じようにみられます。共通して仕事に喜びも達成感も見出せていないという特徴があります。

いうならば「現実逃避欲」や「睡眠欲」を必要としている人たちですから「いかにぅまく現実逃避するか」「どれだけ気持ちよく眠れるか」という欲望充足をギャンブル以外でしてもらうしかありません。

そこで「リラックスして」「ぼうっとできて」「現実逃避できる」という工夫を一生懸命行います。気持ちよく眠るためには、適度に身体を動かして適度に疲れていないといけません。ですから、身体を動かすのが苦ではない人には手軽なウォーキングやサイクリングを試してもらいます。風呂好きなら、リラックス効果が高いアロマ入りの入浴剤を溶かした風呂に入ってぼうっとするのもいいでしょう。

心の奥底にある本音は、「生活費を稼がないといけないから仕事をしているけれど、こんなつまらない世の中に生きている意味はない」という虚無感です。「とりあえず目の前の現実から一時的に逃げたい」のですから、「それがあなた自身の目的なら徹底的に逃げましょう。罪悪感や自責感など抱えずに気持ちよく逃げる」という手段です。

現実逃避の手段としてのギャンブルは、効果以上に金がかかります。収入も全部消えて借金まで負ってしまいます。それでは不本意でしょうから、「もっとお金をかけず忙、もっと気持ちよく現実逃避できる方法を探しませんか?」ということです。

謝罪の後、他人に許しを求めない

感謝の手紙では「謝るべきことを謝っておく」ことがポイントであり、その謝罪を相手が受け入れるかどうかは重要ではありません。謝罪を受け入れるかどうかは自分でコントロールできることではなく、相手次第だからです。

たとえ「いまさらなにをいってるんだ! おまえなんか死ぬまで許さない」などという手紙を受けとったとしても、それは相手の気持ちなのでどうしようもありません。そんなとき私はに「相手の人間的な器量が狭いだけだと思うようにしましょう。

謝るべきことは謝ったのですから胸を張ればいいのです。依存症者本人は迷惑をかけた両親や配偶者、親類縁者に許してもらおうと一生懸命ですが、許してもらえないことがほとんどです。それだけのことをしてきたのですから。「ごめんなさい」と頭を下げて謝ったら「わかった、許すよ」といってほしいものですが、それを求めるといつまでたっても回復の糸口が見つかりません。

このことを少々飛躍して考えてみましょう。「許す」「許さない」は神仏のみぞできること。欠点だらけの人間どときが、他人を「許す」も「許さない」もないのです。それでも許しを求めたいのなら、医療や道徳ではなく宗教に頼ってもらうしかありません。

仏教にでもキリスト教にでも入信し、ひたすら祈って神様、仏様に許しを求めるほかないのです。もし謝った相手がそれで「許すよ」といってくれたら、「あの人は人間的なレベルの高い人だなあ」とにっこり笑って感謝すればよいのです。

気持ちを伝えれば罪悪感は半減する

正直に手紙を書いて、嘘偽りのない気持ちを伝えるだけでも後悔と罪悪感は半分以下に減って精神的にとても楽になります。

「受けとったほうにしてみれば、なにをいまさらと思うでしょう。だから、返事はないかもしれません。しかし伝えるだけでも気が楽になって、借金をしてまでギャンブルをしなくても済むようになるかもしれません」これはとても大きなハードルかもしれませんが、多くの人がこうした気持ちを伝えることでギャンブル依存症から脱出しています。

すっかり貧乏になって、朝からギャンブルに出かけるだけが楽しみという生活を送っているのが恥ずかしいから、自分から親しい人にコンタクトできないという人もいます。その背景には、どんな返事をされるのか、どういうふうに返されるかということに対する怯えがあります。

「感謝の気持ちが足りない自己中心的な行動の報いだ」とか「ざまあみろ」などと厳しい言葉で冷笑されるのはまっぴらどめんだし、逆に妙に同情されて哀れまれるのもそんたくつらいと思うようですが、それは相手の気持ちをきにしすぎなのです。

それが恥ずかしさを生み、手紙が書けないという人には「相手がどう考えようが、知ったことではありません」と思うようにします。

感謝の手紙は、自分の罪悪感や後悔を和らげるために相手を利用するだけの話。相手がどう思うかは、気にしなくていいのです。これは孤独な高齢者に限らず、若者にも当てはまる話ですが、依存症からの回復プロセスでは、徹底した個人主義的な発想が求められます。

周囲の思惑や気持ちを考えすぎたり、どう反応されるかをいちいち気にしたりしていたら回復は望めません。同様に家族も含めて他者の責任はできる限り引き受けないようにしてください。ある種の割り切りが必要です。特に最初はとことん自分中止でないとダメです。依存症から回復して別の喜びや欲望を見つけた段階でやっと相手の立場を考えられる余裕がでてくるものです。