新しい治療

内観療法を利用した3つのアドバイス

内観療法に限らず精神療法の基本は、治療者の世界観を患者に押しつけることなく、患者の言葉にひたすら耳を傾けることです。
ただし、ただ耳を傾けるだけでは、回復に導けない場合があります。そのときに有効なのが、次の3つのアドバイスです。

1. 「感謝と謝罪を伝えること」を回復の指標とする
まずはギャンブル依存症によって迷惑をかけた両親や伴侶、親類縁者、友達など、本人にとって気がかりな相手(キーパソン)を対象に、前項の3項目、特に「1してもらったこと」を思い出してもらいます。
その際、患者は言い訳や恨みつらみ、後悔などを盛んに訴えかけてきますが、これらは1回聞けば十分です。次に「1してもらったこと」への「お返し」、それに「3迷惑をかけたこと」への「埋め合わせ」を考えてもらいます。すぐに行動に移す必要はなく、「ありがとう」や「ごめんなさい」をいう準備をしておくだけで十分です。
重要なのは、ギャンブルの回数や損金を減らすことではありません。むしろまだできていない「お返し」や「埋め合わせ」を含めた“人生の借金”、つまり「ありがとう」や「ごめんなさい」を伝える機会が多ければ多いほど、生き甲斐(生きる意味) があると気づいてもらうことです。断ギャンブルに成功したときの喜びも、再びギャンブルをはじめてしまったときの挫折感も一時的なものです。それよりも「ありがとう」や「ごめんなさい」を、そのチャンスがあるときに伝えることのほうが長期的な回復力につながるのです。
2. 「法的な借金返済の有無」と「回復」は無関係なことを強調
大前提として借金の返済義務に関する判断は司法の領域であり、医療が立ち入る領域ではありません( ただし法律相談の利用は積極的にすすめます)。
ギャンブル依存症のなかには、多額の借金を返済できる自らの「返済能力」に特別な価値を感じ、固執していているケースがあります。これは非自閉型に特有の罪悪感に対する反動形成です。この返済能力への固執に自己責任論が結びつくと、借金問題を一刻でも早く片づけたいと焦り、余暇を削ってアルバイトに精を出したり、生活費を削って耐乏生活をしたりします。
そのストレスで徒労感や虚無感を覚えると、そこから救済されるためにギャンブルに救いを求めるケースが少なくありません。万一借金が完済できたとしても、それはそれで自己返済能力の過信につながり、再びギャンブルに走るケースもあります。
多額の借金があって返済不能である場合には、その事実を素直に認めるしかありません。そのとき返済不能に陥ったことと本人の人間的な価値は無関係であると強調することが必要です。
貸し主から法的責任を求められた場合には、司法から返済能力に関する法的判断を受けた後、淡々と法的責務を果たすように伝えます。
3. 罪悪感の緩和が最優先
「あそこでやめておけばよかった…」という後悔、「ギャンブルがやめられない自分は、破滅して当然の人間だ」といった罪悪感が増すにつれて、自虐的に再びギャンブルに走るようになる人も大勢います。そういうタイプには、はじめにギャンブルとの深い緑に感謝してもらいます。
そのために「あなたの人生はギャンブルによって支えられてきたし、いまも支えられています。ギャンブルに出会えてよかったんですよ」とギャンブルに「してもらったこと」を伝えます。そのうえで「あなたはギャンブル欲求が強い体質であり、子どものころの親子関係やその後の社会生活でそれがさらに強化された結果、コントロールが難しくなったんです。あなた自身に100% 責任はありませんよ」と医療的な免責を強調します。こうして回復を妨げる閉鎖的罪悪感を緩和したうえで「ありがとう」と「ごめんなさい」をいうための準備だけに専念してもらいます。

退職金を使い果たして生きている実感を味わってもしょうがない

生きているという実感を手っとり早く味わえるという点では、ギャンブルのほかにアルコールがあります。というのも、酒は酔うほどに感覚が鈍くなると思われがちですが、アルコール依存が形成されると飲んでいるときのはうが、脳は生き生きとして活性化するのです。

そして過去の出来事がすべて自分に都合のいいように書き換えられます。退職した高齢者がかつての仕事を振り返って、「オレがあの難しい交渉をまとめなければ、いまの会社はないんだ」などと都合のいいように脚色して達成欲、名誉欲を満たしていきます。

でも、酒が飲める体質でない場合、同様の実感を得る目的でギャンブルに走るケースもあるのです。そういう高齢者の多くは家族からギャンブルにのめり込むことを責められながら、治療を強いられて病院を訪れます。

「年をとってからギャンブルで借金までしてみっともない」とか「退職金を食いつぶして一体どうするつもりなの! 」というふうに妻や子どもたちから散々非難されてやってくるのです。

ギャンブルに求めていたのは「自分のことを評価してほしい」という欲求だったのに、それをギャンブルで満たそうとしている間に、家族の評価を大きく下げる結果になってしまうわけです。

高齢者は人生経験を積んでいますから、ギャンブルは損をするし、割に合わないというのは理性ではわかっています。ただ一時的に「自分もその気になればまだまだできる」「本当はすどい」と評価してもらいたいだけ。そんな高齢者には過去の豊富な人生経験のなかから、ギャンブル以外で達成欲や名誉欲を満たせたことを見つけなければいけません。

人生の意味喪失型は高齢者に多い

日本は平均寿命が長くなり、人口の4人に1人が65歳以上の高齢者が占める超高齢化社会を迎えていますが、高齢者には「自分の60年間、70年間の人生の意味がよくわからない」「正しく評価をしてもらえていない」という不満からギャンブルに走る人が少なくありません。

いわゆる「人生の意味喪失型」で、そういう人が求めているのも達成欲や名誉欲です。高齢の方にギャンブルをする理由を聞くと、最初は「お金のため」とか「借金を返すため」という答えるのですが、「きっとそうではないですよね? 」と辛抱強く訊ね続けていると「パチンコで勝ったときにだけ「ああ、生きている!」 という実感が得られるから」というようなことを答える高齢者がとても多いのです。

そういう人にとって、自分は確かに生きている、自分もやればできるというリアルな体験をくれるのがギャンブルなのです。

しかもパチンコやスロットといった「機器の操作」は、自分独自のスキル、能力が発揮できているという自己効力感、自己統制感をともないます。退職前は仕事で評価されて、毎日のように達成欲や名誉欲を満たせていたのに、仕事を辞めると自分が評価される機会が少なくなります。

退職の日には「お父さん、これまで長年ど苦労さまでした」くらいはいってくれるでしょうが、それで終わり。それからも毎日、感謝されることはありません。長年かけて貯蓄した老後の資金をFX(外国為替証拠金取引)などに費やしてスッテンテンになる人もいますが、あれはお金儲けを追求しているのではなく「自分もまだお金を右から左へ動かして利益を生み出すだけの能力がある。退職しても捨てたものじゃないぞ」という名誉欲が空まわりして暴走した結果です。

達成欲や名誉欲を求めている高齢者の心理を金融や投資関連の営業マンたちは巧みに突くのでしょう。ただ純粋な金銭欲だけで投資活動をするのはなんの問題もなく、たとえ損をしてもそんなに大損はないと思います。そこに損を一気にとり返して目にもの見せてやるといった変なプライドが絡むとアウトなのです。

現代社会は、意味の時代…と表現される人がとても増えています。人が何かをなすとき、何かを決めるときに行う「意味づけ(Sense-making)」の意味が、今までよりもさらに「重要」になってくる時代ということです。

逆にいうと、ほおっておくと、「意味が喪失しやすい不確実な時代」「意味がわからなくなりやすい不安定な時代」とでも言えるのかもしれません。別の言葉で言うならば、「人々が意味を求めて浮遊する時代」とも言えるのかもしれません。

現役で働いている人たちですら意味を求めているのに、退職した人たちも意味を探しているのです。日本人はまじめするぎるのでしょう。

ちなみにかなり高齢になっても業績を残した偉人は多数います。
たとえば

ミケランジェロ
サン=ピエトロ大聖堂の改築を手掛けたのは、70歳を過ぎてから。88歳で亡くなるまで、大理石の彫刻を続けた。
ゲーテ
「ファウスト」第2部を完成させたのは、81歳の時。
モネ
視力が衰えていたにも関わらず、自宅の庭の「水連池」をモチーフにした連作壁画を完成させた。86歳で亡くなるまで、制作を続けた。
チャーチル
66歳から71歳までイギリスの首相をつとめ、77歳で再選。80歳で首相を引退後も、執筆活動を続けた。
ピカソ
91歳で亡くなるまで、独創的で若々しいタッチの絵画や、彫刻を制作した。
杉田玄白
83歳のときに、「蘭学事始」を完成させた。
滝沢馬琴
74歳のときに、「南総里見八犬伝」を完成させた。

このようにかなり高齢になってから偉業を成し遂げた偉人たちがいます。