ひとつの生き方でもある

「ギャンブルが人生の中心」という依存症者の行動が受け入れられない家族や周囲の人たちは、それに無理についていく必要はありません。夫婦なら離婚できますし、親子関係だって一定期間交流を絶てば、民法上「絶縁」にしてくれます。

緑を切られた依存症者は、不幸なケースではそこから自滅の道をまっしぐらに進むでしょうが、それで本望でしょう。厳しいことをいうようですが、ギャンブルをしたいのが真の欲望であり、無上の楽しみだとしたら、とことんのめり込んで最後は破滅してビルの屋上から身を投げる末路が待っていたとしても致し方ありません。

命を賭けるくらいギャンブルが好きなら、それはそれでひとつの生き方として受けとめるのです。家族を顧みないで仕事や芸術に打ち込む人生は素晴らしくて、家人から緑を切られてでもギャンブルに没頭する人生はつまらないとはいえないでしょう。

ギャンブルが好きで好きでたまらなくて、自己矛盾もまったくない人たちが経済的に破綻してギャンブルができなくなり、離婚されたり独りになったりして破滅の道を歩むとしても、それはそれで詮無きこと。そこに口を挟むのは医学の領域を超えて、哲学や宗教が救済すべきテーマになるのです。

しかし、本心からギャンブルに人生を賭けている人はいませんでした。おそらく本当にギャンブルを愛している人は、大切にギャンブルをしているはずです。

依存症者とのつき合い方

ギャンブル依存症で悩んでいるのは本人だけではありません。家族や周囲の人たちも悩んでいますし、当人が依存症から脱するプロセスでは家族や周囲の人たちの協力や支援が欠かせません。

そこで依存症患者の家族と周囲の人たちがギャンブル依存症者とどうつき合っていくべきかを紹介します。

依存症者の夫を妻が病院に連れてくるケースが多いため、夫を依存症者と想定して話を進めますが、依存症の妻を持つ夫の場合には立場を逆にして読みすすめてください。

同様に親子関係の場合も未成年期間など法的な保護義務がある場合を除き、「縁」という視点からすると、夫婦関係と本質的に同じと考えて読みすすめてください。

さて、ギャンブルにのめり込むはど夢中になっている当人は、ギャンブルをしている瞬間は幸せです。家族にとっては迷惑な話でしょうが、そこから先は家族がそれを「どう受け止めるか」にかかっているのです。

自閉型の回復プロセスの特徴

自閉型はなんらかのきっかけでギャンブルにはまると習慣化しやすいという弱点があるものの、逆にいったんギャンブルを断つと続きやすい傾向があります。

断ギャンブルを続けるには、自助グループへの定期的な参加をはじめとして、ギャンブルという刺激のない日常生活での単調な繰り返しが求められます。このプロセスでは、ギャンブルにかかわる情報の遮断、ギャンブルにともなう人間関係を断つことも求められますが、これらの行動や思考の単純化は自閉型にとっては心地よいものです。

「仕事、運動、食事、睡眠という一定化した生活リズムができること(が喜び)」「スロットができないつらさについては、深く考えないようにしている( = 考えないようにできる)」といった発言は自閉型の特性を明らかに示しています。ギャンブルをしない生活習慣が単調化かつスケジュール化されたら、単車線認知パターンを示す自閉グループは、そのまま断ギャンブルを続けられます。

 

さらに本人の興味に合うように新しぃ趣味や習慣が見つかれば、断ギャンブルがより安定化します。

自助グループへの参加もスケジュール化のひとつとして有効ですが、コミュニケーションが苦手な自閉型にとって他人との交流や自己開示は負担になることもありますから注意が求められます。非自閉型は罪悪感の強さが回復を疎外する要因となりますが、これと対称的に自閉型では当事者意識が希薄であり、過去のギャンブル行為や借金から生じる罪悪感に苦しめられることは比較的少ないです。自閉的な気質では、この点でも断ギャンブルを継続しやすいといえるでしょう。