gambling

ギャンブルをする理由

ギャンブルも依存も悪くない…むしろ打ち込むものを見つけられたことを評価すべきだ!ということを紹介しましたが、では、ギャンブル依存症のなにが問題なのでしょうか。

ギャンブル依存症とは、シンプルにいうと、「ギャンブルへののめり込みを自分でコントロールできない状態」。単なるギャンブルへの依存だったものが、ギャンブル依存症という病気として治療の対象となるかどうかを左右するのは、ギャンブルを減らす努力をして失敗した経験があるという「調節障害」の有無です。

また、依存から抜け出そうとしても抜け出せない病的な依存を、専門的には「嗜癖障害(しへきしょうがい)」とも呼ばれます。「嗜癖」とは辞書的にいうなら「ある特定の物質や行動、人間関係を特に好む性向」です。

調整障害、嗜癖障害となるポイントは、第一にのめり込みの強さにあります。

  • 借金をしてまでギャンブルを続ける
  • 家族に内緒で消費者金融でお金を借りる
  • 休みの日に朝~晩までパチンコ店で過ごす
  • どんなに損をしても海外のカジノにでかける
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こうした行動は、ギャンブルへの強いのめり込みを表しています。強いのめり込みが病的かどうかを判断する上で大事なポイントは、自分自身への問いかけです。

たとえば「私は毎日のようにパチンコをやっているけれども、一体なんのためにやっているのだろうか」と突き詰めて考えてみるのです。

この自問自答に「パチンコが好きだから」と答えるのは小学生レベルです。大人ですから、もう一歩深く踏み込んでギャンブルのどこが好きなのかを考えてみます。のめり込んでいる以上、ギャンブルになんらかの魅力を感じているはずなのです。
「大当たり(「フィーバー」など) の興奮が忘れられないから、それを求めてパチンコ店に朝から並ぶ」というだけなら、そこに自己矛盾はまったくありません。大当たりの興奮や快感を知ってこれを感じない人がいたとしたらその人は、何をしても楽しくない、つまらないといううつ病などの病気かもしれません。

「ギャンブル」も「依存」も本来はそこまで好きなものを見つけることができたという評価

「依存症」というと日本では「アルコール依存症」が非常に有名ですが、同じようにギャンブルに病的に依存する人もいます。これを「ギャンブリング障害」(ギャンブル依存症)と呼びます。一生のうちでギャンブル依存症に一度でも罹る割合は諸外国では0.8~2% 程度とされていますが、日本ではその数倍となるおよそ5%と推計されています。

全人口の5% が罷る疾患と考えると、決して稀な病気ではないのです。では、どんな人がギャンブル依存症なのでしょうか。世の中には競馬場へ毎週のように通っている人もいますし、パチンコが大好きで毎日通っている人もいます。酒好きが全員アルコール依存症ではないように、ギャンブル好きが全員ギャンブル依存症ということではもちろんありません。

では、どこで線引きをするのでしょうか。「ギャンブル」や「依存」という言葉にマイナスイメージを持つ人は多いですが、ギャンブルをしたり、なにかに依存したりすること自体は決して悪いことではありません。むしろ精神的な救いになることもあります。

ギャンブルにのめり込んで、依存症になってしまった人に医者は「ギャンブルをやめなさい」と一方的にいわれることはほとんどありません。

根っからのギャンブラー(そういう人もいます)を除くと、ギャンブルにのめり込む理由は多くの場合、ギャンブル欲求そのものではありません。ギャンブルはそれこそ人類が地球に生まれたときからありますが、そこに人々が古来求めてきたのは現実逃避、リラックス、達成感、あるいは「すごいね」といってもらいたい評価欲など、誰もが日常の生活で欲しているささいな望み。それを求めるのは当たり前のことなのです。

そしてギャンブルに限らず、なにかに依存するのも、それ自体は悪いことではありません。朝、パチンコ店の開店前に店先で列をつくって並んでいる人たちは、パチンコやスロットに依存しているのでしょう。でも、依存しているだけでは、それが治療を要する障害や病気とはいえないのです。

のめり込むほどギャンブルへの欲望が強いとしたら、それはむしろ「依存するくらいのめり込むものが見つけられてよかったですね」といってあげるべきこと。せっかくこの世に生を受けたのに自分の欲望すら判然とせず、何年も何十年もじっとうちに引きこもって生活している人(引きこもり)が増えているなかで、のめり込むものが見つかり、当人が心の底からギャンブルを楽しみ、喜んでやっているのだとしたら、病気どころか精神衛生上は健康で羨ましい話なのです。