ギャンブル依存症とは

褒められたい心理がギャンブルを強く求める

いずれの嗜癖行動にも、「褒める自分」と「褒められる自分」という1人2役の状態をより意図的につくってくれるという効果があり、それがひとつの魅力になっています。

ギャンブルでいうなら、「仕事ではあまりうだつが上がらないけれど、ギャンブルではこんなカを持っているのだから、オレはスゴイ!」と酔わせてくれるのです。ギャンブル限らずなにかはまる依存症タイプは、基本的に周囲の人に評価してほしいという気持ちを強く持っています。甘ったれているといえば、甘ったれているかもしれません。

「頑張っているのはあなただけじゃない。みんな褒めてほしいんだ」という非難はもっともですが、それでも褒めてもらいたいのです。

日常でも自分で自分を励ます場面はよくありますが、励まし方がさほど強くはありしらふません。素面だと褒めている自分と褒められている自分という一人二役をこなすのが気恥ずかしくて、強く褒められないのです。

ところが、ギャンブルでもアルコールでも薬物でも、のめり込む嗜癖はみな気恥ずかしくなく胸を張って自分を褒めるチャンスをつくってくれます。

ギャンブルで勝利に酔っている瞬間、アルコールや薬物に溺れているときは、素面のときの自分とは確実に離れていますから、感覚が麻痔して1人2役が自然にこなせて自分で自分を素直に褒め倒せるのです。この「褒められたい」という欲求を満たしたいという思いが、依存症に走らせるひとつの要因になっています。

働き盛りの40~50歳代がビジネスパーソンが典型像

ギャンブルにはまりやすい体質があるかどうかは、はっきりわかっていません。今後、明かにされるかもしれません。気分転換したい、暇つぶしをしたい、現実から逃避したい、勝ちたい、人からチャホヤされたい、お金を儲けたいといった欲望は誰もが持っているものですから、そういう意味では誰でもギャンブルにはまる可能性はあります。

でも、そこから一歩進んで病的に依存するのは、やはり一種のギャンブル勘がある人でしょう。ギャンブルをはじめても負けてばかりではつまらないので、はまる糸口をつかみようがありません。偶然のビギナーズラックがきっかけとなってはまるというパターンも考えられないわけではありませんが、1~2回の幸運だけではずっとのめり込んではいけないでしょう。

やはりそれなりの勝負勘と大胆さ、運を天に任せるだけの心の度量の広さが求められるのです。たとえギャンブル勘が備わっていたとしても、ギャンブルをはじめて2~3年でいきなり依存症になるわけではありません。なんとなく気分転換ではじめたビジネスパーソンが10年くらい続けていると、いつの間にか消費者金融から借金をするはどのめり込むというパターンが結構多いのです。

そして、家庭を持っているケースが大半。仕事では有能で職場でもそれなりの信頼を得ている40~50歳代のビジネスパーソンというのが典型像です。

病院にまで通院しなければいけないほどの依存症の方は多くはスーツをパリッと着こなした真面目そうなビジネスパーソン、あるいはちゃんと身繕い整えたこぎれいな普通の主婦ばかりです。

逆にギャンブル依存症になりにくい人は、あらゆることを完壁にコントロールしたいという秩序にこだわりすぎる強迫的観念の持ち主。1+1が必ず2 になる世界を求めているので、運を天に任せるギャンブルを忌み嫌います。

秩序にこだわりすぎる強迫的観念の持ち主にギャンブルは合いませんが、そういうタイプはうつ病になりやすいかもしれません。ギャンブルに限らず、世の中は1 +1が必ず2になるわけではありません。曖昧で不合理で運を天に任せるような場面もあります。

そういう場面に出くわしたときに混乱したり、一生懸命それをコントロールしようとしたりして、苦しくなって燃え尽きるのがうつ病のひとつの発症パターンなのです。

特有のこだわりが強すぎる「強迫性障害」はこちらです。

道徳的観点に惑わされない

スクリーニングテストの結果だけでギャンブル依存症の有無がわかると勘違いしている人もいますが、それは間違いです。

第一にDSMは元来、精神科医が本人と対面しながらチェックするもの。自己評価だけで依存症かどうかを軽々に判断しないようにしてください。

一方、SOGS については5点以上の人はギャンブルに対するのめり込みが強いのですが、そこには単にギャンブルを愛してのめり込んでいるだけで、精神的な問題を深刻化させる自己矛盾がない人も含まれています。それなのにスクリーニングテストの結果のみで「○項目のうち、○以上当てはまったら、あなたはギャンブル依存症」という単純極まりない早合点をしてしまうと、太人とまわりの関係者を苦しめるだけです。

実際、SOGS 5点以上の人のなかでDSM に基づく医師の診断の結果、ギャンブル依存症という診断がつく人は75% にとどまることが調査でわかっています。

残りの25%は間違って評価されている可能性が高いのです。ギャンブルの負けをとり戻そうと思って「明日は勝つぞ、いや明日は絶対に勝つはずだ」と強く思ったとしても、それは単純にギャンブルにのめり込んで冷静な判断が下せなくなっているだけ。

自己矛盾はありません。自分はとにかく勝てる、いつかこの借金を返せるという思い込みを持つことは病的でもなければ、ギャンブル依存症でもありません。それは人気漫画で映画化された「釣りバカ日誌」の主人公ハマちゃんが「いつかは誰も釣ったことがない大物を釣るぞ! 」という夢を抱いても、誰もハマちゃんを病気とはいわないのと同じ。

妄想でも勘違いでも、夢を持つことは誰も否定できません。依存の対象がギャンブルやアルコールなら病気で、釣りなら健全そうだから病気ではないというのは、医学的にみてフェアではありません。

医学的に人間の精神病理的な心の在り方として、病気か病気でないかという議論は非常に重要です。釣りはOKでギャンブルはNGというなら、朝からパチンコ店の前で行列をつくる人たちは病気で、ハマちゃんのように休みの日にチャンスさえあれば釣りをするのは病気ではないということになります。

それは道徳的な観点から下される偏った判断であり、医学的・精神病理的な概念とは異なる価値判断です。釣りは大自然のなかで楽しめる素晴らしいスポーツだといいますが、仏教的にみるとすさまじい殺生。キャッチ・アンド・リリースなら殺生ではないという主張もあるようですが、口内に鋭い針を引っ掛けられてエサが食べられない重症を負わされたのに、何事もなかったかのように針を外して「さようなら、ありがとう」といわれるのは魚の立場になったらやり切れません。

それならまだ焼いて食べてくれたはうがマシかもしれません。釣った魚を焼いて食べると決めたら当座食べる分以上は釣りませんが、ゲームフィッシングはどんどん釣っては離して、釣っては離してを繰り返すのですから、殺生以上にひどい話ともいえます。
生き物の命を娯楽に利用してもてあそぶことに比べたら、パチンコ玉でパチンコ店を儲けさせるはうがまだマシではないかと思うことがあります。