迷惑をかけた方々への感謝の手紙

いまの日本では孤立した高齢者が急増しています。ひとり暮らしでギャンブルに依存している高齢者が多数います。なかには兄弟や親戚、子どもなどに不義理をして音信不通になっているなど、後悔と罪悪感が渦巻く人も少なくありません。

そういう高齢者たちがギャンブルに求めているのは、後悔と罪悪感からの一時的な解放です。心底ギャンブルが好きで借金してまでのめり込むならまだしも、後悔と罪悪感から逃げるためのギャンブルで借金するのはあまりにみじめですし、

破産宣告を受けてもギャンブルは止まりません。ギャンブルに向かわせる後悔と罪悪感がまったく解消されないからです。それならば「ギャンブルをするというまどろっこしい方法ではなく、「ご無沙汰していますが、お元気でしょうか? 私はいまこんな生活をしています。10年前にあなた嫌な思いをさせたのに、その場で素直に謝れなかったことを思い返していまも悔やんでいます」という内容の手紙を書いたらどうでしょうか?というのはどうでしょうか。

連絡したい相手との交流が長く途絶えていますし、高齢者同士ならメールアドレスや携帯電話の番号はおそらくわからないでしょう。それでも住所くらいはわかりますから、そこに手紙を出すのです。手紙は届かないかもしれませんし、届いても相手からの返事はないかもしれません。いや、返事がないことのほうが多いでしょう。それでもいいのです。

後悔と罪悪感から解放されればギャンブル依存症からも脱することができるでしょう。

退職金を使い果たして生きている実感を味わってもしょうがない

生きているという実感を手っとり早く味わえるという点では、ギャンブルのほかにアルコールがあります。というのも、酒は酔うほどに感覚が鈍くなると思われがちですが、アルコール依存が形成されると飲んでいるときのはうが、脳は生き生きとして活性化するのです。

そして過去の出来事がすべて自分に都合のいいように書き換えられます。退職した高齢者がかつての仕事を振り返って、「オレがあの難しい交渉をまとめなければ、いまの会社はないんだ」などと都合のいいように脚色して達成欲、名誉欲を満たしていきます。

でも、酒が飲める体質でない場合、同様の実感を得る目的でギャンブルに走るケースもあるのです。そういう高齢者の多くは家族からギャンブルにのめり込むことを責められながら、治療を強いられて病院を訪れます。

「年をとってからギャンブルで借金までしてみっともない」とか「退職金を食いつぶして一体どうするつもりなの! 」というふうに妻や子どもたちから散々非難されてやってくるのです。

ギャンブルに求めていたのは「自分のことを評価してほしい」という欲求だったのに、それをギャンブルで満たそうとしている間に、家族の評価を大きく下げる結果になってしまうわけです。

高齢者は人生経験を積んでいますから、ギャンブルは損をするし、割に合わないというのは理性ではわかっています。ただ一時的に「自分もその気になればまだまだできる」「本当はすどい」と評価してもらいたいだけ。そんな高齢者には過去の豊富な人生経験のなかから、ギャンブル以外で達成欲や名誉欲を満たせたことを見つけなければいけません。

人生の意味喪失型は高齢者に多い

日本は平均寿命が長くなり、人口の4人に1人が65歳以上の高齢者が占める超高齢化社会を迎えていますが、高齢者には「自分の60年間、70年間の人生の意味がよくわからない」「正しく評価をしてもらえていない」という不満からギャンブルに走る人が少なくありません。

いわゆる「人生の意味喪失型」で、そういう人が求めているのも達成欲や名誉欲です。高齢の方にギャンブルをする理由を聞くと、最初は「お金のため」とか「借金を返すため」という答えるのですが、「きっとそうではないですよね? 」と辛抱強く訊ね続けていると「パチンコで勝ったときにだけ「ああ、生きている!」 という実感が得られるから」というようなことを答える高齢者がとても多いのです。

そういう人にとって、自分は確かに生きている、自分もやればできるというリアルな体験をくれるのがギャンブルなのです。

しかもパチンコやスロットといった「機器の操作」は、自分独自のスキル、能力が発揮できているという自己効力感、自己統制感をともないます。退職前は仕事で評価されて、毎日のように達成欲や名誉欲を満たせていたのに、仕事を辞めると自分が評価される機会が少なくなります。

退職の日には「お父さん、これまで長年ど苦労さまでした」くらいはいってくれるでしょうが、それで終わり。それからも毎日、感謝されることはありません。長年かけて貯蓄した老後の資金をFX(外国為替証拠金取引)などに費やしてスッテンテンになる人もいますが、あれはお金儲けを追求しているのではなく「自分もまだお金を右から左へ動かして利益を生み出すだけの能力がある。退職しても捨てたものじゃないぞ」という名誉欲が空まわりして暴走した結果です。

達成欲や名誉欲を求めている高齢者の心理を金融や投資関連の営業マンたちは巧みに突くのでしょう。ただ純粋な金銭欲だけで投資活動をするのはなんの問題もなく、たとえ損をしてもそんなに大損はないと思います。そこに損を一気にとり返して目にもの見せてやるといった変なプライドが絡むとアウトなのです。

現代社会は、意味の時代…と表現される人がとても増えています。人が何かをなすとき、何かを決めるときに行う「意味づけ(Sense-making)」の意味が、今までよりもさらに「重要」になってくる時代ということです。

逆にいうと、ほおっておくと、「意味が喪失しやすい不確実な時代」「意味がわからなくなりやすい不安定な時代」とでも言えるのかもしれません。別の言葉で言うならば、「人々が意味を求めて浮遊する時代」とも言えるのかもしれません。

現役で働いている人たちですら意味を求めているのに、退職した人たちも意味を探しているのです。日本人はまじめするぎるのでしょう。

ちなみにかなり高齢になっても業績を残した偉人は多数います。
たとえば

ミケランジェロ
サン=ピエトロ大聖堂の改築を手掛けたのは、70歳を過ぎてから。88歳で亡くなるまで、大理石の彫刻を続けた。
ゲーテ
「ファウスト」第2部を完成させたのは、81歳の時。
モネ
視力が衰えていたにも関わらず、自宅の庭の「水連池」をモチーフにした連作壁画を完成させた。86歳で亡くなるまで、制作を続けた。
チャーチル
66歳から71歳までイギリスの首相をつとめ、77歳で再選。80歳で首相を引退後も、執筆活動を続けた。
ピカソ
91歳で亡くなるまで、独創的で若々しいタッチの絵画や、彫刻を制作した。
杉田玄白
83歳のときに、「蘭学事始」を完成させた。
滝沢馬琴
74歳のときに、「南総里見八犬伝」を完成させた。

このようにかなり高齢になってから偉業を成し遂げた偉人たちがいます。