非自閉型の回復プロセスは自助グループ

こうした分析を踏まえると、非自閉型は自分を受け入れたうえで自己中心的な考え方や行動のパターンを修正していくことが根本的な解決法となります。

そのために有効なのは、自助グループへの参加と内観療法です。自助グループとは、同じ障害や悩みを持つ当事者や家族が自発的に集まり、独自の理念に基づいて活動する団体のことです。そもそもは1930年代に、アルコール依存症に悩む人たちがアメリカで立ち上げたものです。

実名を伏せて匿名(アノニマス)で活動することから「ギャンブラーズ・アノニマス」、その頭文字をとって「GA」と呼ばれます。GAは1957年にアメリカで発足し、日本では1989年に最初の団体が発足し、国内で現在100以上のグループが活動しています。

GAでは、普段は口にできない悩みをざっくばらんに話したり、同じ悩みを持つ人の話に黙って耳を傾けたりするだけで、内容についての助言や議論は行われません。素直に語り、その話を素直に聞いているうちに、他者を鏡として自分の内面がわかってくるので、それまでの自己中心的な考え方や行動のパターンに気づき、自分で修正していくことができるのです。

非自閉型は罪悪感や後悔が解消されない

ギャンブル依存症を解決するためには、「自閉型」か「非自閉型」かにかかわらず、欲望充足法で治療を行います。

そのうえで自閉型と非自閉型の特質にあわせて介入します。非自閉型のギャンブル依存症は、なにが自分をギャンブルへ向かわせているのかという動因(動機)を自覚しているのが特徴です。それは「負けをとり戻したい一心だった」「まわりに注目されるのがうれしかった」「嫌なことが忘れられた」といった当事者の発言にはっきりと表れています。

ギャンブルをしているとたまに勝ちますが、それが勝利欲や達成欲といった潜在的な目的を満たしてくれることで、ギャンブルから抜け出せない動機をつくります。

たまに勝って勝利欲や達成欲が満たされることで充足体験に関する記憶が強化され、それがギャンブル衝動をいっそう促進するからです。

非日自閉型は、断ギャンブルを試みた後でもギャンブルをしたいという衝動が衰えていません。「モヤモヤしたむなしさがある」「これ以上親を困らせてはいけないと思うと、かえってパチンコをしたくなる」など、根深いギャンブル衝動にかられてしまうのです。

そのため非自閉型は、単にギャンブルをやめているだけでは、罪悪感や後悔が心のなかでくすぶり続けており、それを打ち消すために自己否定と他者への攻撃性が高まります。それがギャンブル欲求を強めて再発のリスクとなるのです。

自閉型の3例

非自閉型の実例1

30歳代 男性Gさん会社員、両親と同居(離婚歴あり)性格:無口

AQテスト:24点
Gさんは高校卒業後、正社員として会社勤めをしています。無口で友人が少なく、人と遊ぶのは苦手なタイプです。12年前、Gさんはパチンコをはじめますが、負けが続くようになって1年あまりでやめました。

しかし8年前、会社の同僚に誘われて、週1回ペースでパチンコ店に通うようになります。そんなGさんでしたが、勝ったときの喜びはすぐに軽減しました。そして、負けが込んできたにもかかわらず、毎日パチンコに通うようになります。

間をおかず結婚して子どもを授かりますが、3年後には消費者金融で借金をするよぅになりました。「疲れるだけなのに、なぜ自分はパチンコをするのか」と自問自答しながらも、通い続けます。

「勝ちたい」という自覚はなく、「ただパチンコにお金をつぎ込むだけのロボットだった」とGさんは語っています。

2年前、パチンコによる借金が妻に露見するかもしれないという恐怖から、死ななければならないという「希死念慮」が出現。うつ病との診断で会社を半年間休職しましたが、その間もパチンコ通いは続きました。

1年前、350万円の借金が露見、離婚。両親のすすめで、精神科を受診します。受診後、「パチンコをしたい欲求が出ると、したくてたまならなくなる」という強い衝動は2ヶ月ほどで軽くなりました。

自助グループへも参加しましたが、「苦しかったことを話すと楽になる」と語る一方、半年間参加したのみでドロップアウトしてしまいます。しかし、パチンコができない物足りなさはなく、「他人に嘘をつかなくていい」「仕事、運動、食事、睡眠という一定した生活リズムができる」ことの喜びを語ります。

3年後、Gさんは「パチンコをする前と同じ静かな生活です」と語り、ギャンブルの衝動は消え去って安定しています。

非自閉型の実例2

30歳代 男性Hさん、会社員をへて無職、妻子と同居、性格:内向的

AQテスト:24点
専門学校卒業後、正社員として会社勤めしていたHさん。幼いころから食事や服装などは同じもので満足するなど、手のかからない子どもだったといいます。また、集団でなにかにとり組むのは苦手なタイプで、友人はあまりいませんでした。

17年前、Hさんはちょっとしたきっかけでスロットをはじめます。1日中ぼんやり過ごせることに、いままでにない安らぎを感じ、3年後にははぼ毎日スロットに通い詰めるようになります。ときには会社を休んでいくこともありました。

スロットの話題で職場の同僚との交流ができるようになり、スロットをすることがすっかり生活リズムの一部となり、いっそうのめり込むようになりました。

9年前から消費者金融で借金をするようになり、5年前には支払い不能に。両親に150万円の借金を立て替えてもらいました。ところが、1ヶ月後にスロットを再開し、ほどなく消費者金融で再び借金をするようになります。前後して結婚をして、子どもにも恵まれました。

そして、2 度目の借金が400万円にのぼることが会社にバレて、自暴自棄となって会社を自主退職し、受診となりました。

H さんは「スロットをしたい気持ちはあるけれど、やったらまた元に戻ってしまう」と思っています。その後、Hさんは強いギャンブル欲求は出ないまま、主夫として家庭で家事や子育てをしながら、淡々と現実を受け止め続けます。
1年後、「スロットができないつらさについては、深く考えないようにしています。

スロット以外になにかハマるものが欲しいと思うけれど、とくにないというものの、そこに深刻さは感じられませんでした。間もなくアルバイトをはじめました。

3 年後、「スロットをしたい気持ちはまったくないです。いまはお金のありがたみを感じていて、少しでも子どもになにか買ってあげたいと語る一方、「(迷惑や心配をかけた埋め合わせとして)妻になにか買ってあげたいという気持ちにはならない」と悪びれずに語っていました。

非自閉型の実例3

40歳代女性Iさん主婦(夫、子ひとりと同居)性格:物静か

AQテスト:29点
Iさんは大学卒業後、正社員として会社勤めをしましたが、結婚後は専業主婦となり、受診時にはパートタイムで働いていました。

物静かな性格の女性です。17年前、友人に誘われてパチンコをはじめました。その後、結婚してからは夫とも一緒にパチンコ店にいくことがあったそうです。8年前、1 回のパチンコで10万円勝ちました。「これまでの人生でいちばんの興奮体験だった」といいます。

これが契機となり、自分だけの世界に入り込めるパチンコに喜びを感じるようになりました。その後はどっぷりとはまり、妊娠中や出産後にも、毎日通うようになりました。

6年前、30万円の借金が発覚。その借金が4年前には360万円まで膨らみ、夫と実父が立て替えました。その際、天から「パチンコをやめないと離婚する」と宣告されますが、3ヶ月後には再開。その後も、借金、立て替え、天からの叱責が繰り返されながら、借金は990万円にまで膨らみました。

夫から責められることで自殺念慮やギャンブル衝動が生じ、パチンコに負けると吐き気をもよおすようになりました。それでもIさんはパチンコ店に通い続けました。「やめたいけど、やめられない」と思っていましたがその口調にはどこか淡々としたところがありました。
通院と自助グループへの参加で半年間が経過。そのころから「パチンコにいきたくなる欲求はなくなりました。なぜあんなにパチンコばかりしていたのか、自分でもわからない」というようになり、1年がたつころには自助グループからも足が遠のきました。

このころには「パチンコのことを考えても、どこか投げやりです」とパチンコに没頭していたときの自己感覚が希薄になっていました。その後、「パチンコをしていたときは、なにかいつも気が張っていましたが、いまは空気の抜けた風船のようで楽です」と落ち着いて語れるようになりました。

4年後には、「消費者金融のチラシを見ていたら、唐突に『また借りてしまうのではないか』という不安がよぎりました。そういう不安(借金への予期不安)を持つ自分に対して、『ギャンブル依存の後遺症だね』と醒めた目で見ている別の自分がいます」と冷静に、そしてどこか自分を突き放すようにIさんは語っています。