お世話欲 適度に満たしながらつき合う

お世話欲

お世話欲 適度に満たしながらつき合うというのが大事なポイントになる性格の人がいます。憎悪や怒りが軽減したら、次に惚れている「放っとけない」という妻は、自分がお世話欲の非常に強い人だということを自覚すべきです。

お世話欲

依存症本人の妻に「あなたはもしこの博打打ちの亭主と別れても、なにかを過剰に世話して生きていくしかないかもしれない」可能性大です。

両親が亡くなって思わぬ遺産が手に入ったら、ホスト狂いになるかもしれないし、犬や猫を数多く飼う多頭飼いや子どもへの過剰な介入をするかもしれません。

そうなるくらいだったら、長年連れ添ってきた夫でお世話欲を満たしたほうが妻にとっても平和で安全です。

これは共依存であなたがかかわるから、亭主はギャンブルがやめられないというケースもあるのです。「もっと突き放しなさい」といったアドバイスをする専門家医もいますが、突き放すと危ないと言う専門家医もいます。

共依存とは、誰かを献身的に世話することで、世話する相手をコントロールしようとする傾向を強め、結果として互いに依存した関係性から抜け出せなくなってしまう状能心です。

したがって、お世話欲が過剰なタイプに「共依存だから突き放しなさい」と助言しても、結局持て余したお世話欲を隠れてこつそり満たすしかない。そういわれて別れたり、別居したりしても、ギャンブル依存症者にコソコソお金を送ったり、アルコール依存症者の生活の世話をする(元) 妻たちは大勢います。

これはまったく矛盾した話で、矛盾した行動です。「私はもうお世話欲は満たした、もう十分だ」と思ったり、「私はなぜこんな人に怒りや恨みを持っているのだろう」とアホらしくなったりすれば、そこで情が尽きるかもしれません。

お世話飲も恨みも源泉は「情」。情が尽きたら終わりですから、そのときになってから感謝とともにサヨナラすればよいです。

共依存 メリット デメリット

共依存(コードペンデンシー)は、二人の関係において一方が他方に依存しすぎる状態を指し、お互いがそれを支え合うことで成り立つ状態です。共依存にはメリットとデメリットの両方がありますが、通常、依存のバランスが崩れると問題が発生しやすくなります。

 

共依存のメリット

  1. 安心感や安定感
    共依存関係では、お互いの存在によって安心感や安定感を得ることができます。一方が相手の支えを必要としており、もう一方がそれを提供することで、互いに「役割」を感じやすくなり、関係が安定する場合があります。
  2. 親密さの増加
    共依存関係は非常に親密で、互いに深く理解し合っていると感じやすくなります。このため、お互いをかけがえのない存在として感じ、特別な絆を意識できることもあります。
  3. 役割を果たす満足感
    支えられている側は安心感や居場所を感じ、支える側は「誰かの役に立っている」と自己価値を感じやすくなるため、精神的な充足感が得られることがあります。

共依存のデメリット

  1. 自己成長の停滞
    一方または双方が互いに依存しすぎることで、自分自身の成長や目標に取り組む機会が減少し、自分の人生が停滞してしまう場合があります。自分の意見や希望を犠牲にすることもあり、自己実現が難しくなります。
  2. 健康な境界の欠如
    共依存関係では、自分と相手の境界が曖昧になることが多く、結果的にどちらかが「自分の人生を生きていない」ように感じることがあります。このため、ストレスが溜まりやすくなり、不満が蓄積することもあります。
  3. 過剰な犠牲による疲労
    支える側が相手のために過剰に時間やエネルギーを費やすことで、精神的・肉体的に疲れ果ててしまうことがあります。また、支えられる側も罪悪感や無力感を感じることがあり、両者にとって健康的な関係ではなくなる可能性があります。
  4. 独立心の喪失
    共依存が進むと、一方が他方に頼りすぎて独立心や自己決定力が低下し、最終的にはお互いの存在が負担に感じられることもあります。相手がいないと自分の人生に不安を感じるようになると、長期的に心理的な自立が難しくなります。
  5. 関係破綻のリスク
    依存関係にあるため、一方が変化や自立を求めた場合、バランスが崩れてしまい、関係の破綻やトラブルが生じやすくなります。支え合うことで成立していた関係が崩れ、深い不安感や孤独感を感じやすくなることもあります。

まとめ

共依存には、短期的な安定や親密感の強化といったメリットがある反面、長期的にはお互いの成長を阻害し、健康的な関係が築けなくなるリスクがあります。健全な関係を築くためには、互いに依存しすぎず、それぞれが自分自身の成長や幸せを追求できるバランスが重要です。

人は誰かに話すと悩みが軽減されたり解消する

妻がギャンブルにはまった夫に惚れているとしても、妻には夫に苦しめられ裏切られた憎悪や怒りが残っています。

それでも惚れている」ことを自覚したら、次はその憎悪や怒りをケアしないといけません。憎悪や怒りを本人に直接ぶつけてしまうと「愛されてない」「見捨てられた」と思い込み、ますます追い詰められてギャンブルをしたくなります。

かといって憎悪や怒りをため込んでおくのは精神衛生上よくありません。憎悪や怒りをぶつける対象を決めて、共感して聞いてくれる人に自分の心の内をはき出すべきでしょう。

憎悪や怒りは担当の医師に訴えてもいいですし、自助グループの家族の会に聞いてもらう手もあります。

ただし、家族の会は結果的に断ギャンブルや「コントロール・ギヤンブリング」への移行に成功した家族だけが集まっているケースが多く、「私は亭主をこうやってやめさせた」という自慢話を聞かされるハメになり、断ギャンブルにも「コントロール・ギヤンプリング」にもまだ成功していないと居心地が悪く、肩身の狭い思いをすることもあります。

家族の会が自分に合わなかったら、友達でも親戚でも誰でもOK。「これから10分間、亭主の悪口をいうから、黙って聞いて」と頼むのです。そうしたら1 週間後には、ギブ・アンド・テイクで聞いてくれた相手の愚痴も10 分間、黙って聞いてあげるといいでしょう。

誰かに話をするだけで憎悪や怒りがだいぶ晴れて、ずいぶんと気が楽になります。それは自分がいっていることを自分自身も聞いているから。すると不思議と冷静で客観的皇熟分になって「亭主の問題娃は亭主の問題。私がガチャガチャいうことではない」とバカバカしく思えてきます。『ギャンブルをやめてよ! 』『借金どうするの! 』なんて私はなぜいつもカッカカッカしていたんだろうと自分自身を客観視してアホらしくなってくるのです。

依存症から回復するポイントのひとつも、最終的に自分のやっていたことがバカバカしくなること。ギャンブルもアルコールも誰かから禁止されたり、我慢したり、頭で理解したりすることではなく、それ・目体がアホらしくなるのが回復の近道なのです。

アホらしくなるためには客観視しないといけませんし、客観硯するためには誰かに話をするのが有効なのです。その意味では患者さんが自助グループで自己開示することはとても有効な手段です。

それでも一緒にいるのは惚れている証拠

依存症になるとは借金を返すためにギャンブルをするとか、仕事で嫌なことがあつたからギャンブルをするとか、さまざまな理由をつけてギャンブルをしますが、繰り返し触れているように、じつは別の欲望を満たすための行為です。

でも、それは依存症者の妻も同じこと。「どうしようもない博打打ちの亭主と別れないのは、自身の隠された欲望のせいかもしれません。それは金銭欲ですか、世間体ですか、子どものためですか、それがなんなのかを考えてみませんか」というふうに聞きます。

1回で答えが出なければ、「しばらく考えてみてください。次の受診時に、この話の続きをしましょう」と約束してその場は帰ってもらいます。

すると自分自身に正直な妻なら「だって放っとけないもの」といい出します。そのセリフが聞けると、主治医はたいがい「いいですね」と手を打って喜びます。「別れるのはまるで見殺しにするようで、亭主が可哀想なのでしょう? 」と水を向けると、「そうなんです、あんな亭主でも… 」という答えが返ってくるケースが大半です。

兄弟姉妹や成人した子どもたちは「別れたほうがいいよ」「なぜ別れないの」と口々にいいますが、それでも妻は「放っとけない、可哀想だから」というのです。多くの医師は「可哀想ってこたあ、惚れたってことよ」といいます。「結婚して何年? 20 年、30 年たっても惚れているなんて素晴らしいじゃないですか」と言うでしょう。

そもそも惚れていないのなら、病院に連れてくる前にとっくに別れています。自分のことのように悩んでいること自体、惚れている証拠なのです。これを「夫婦の情」といってよいかもしれません。同様に親子のつながりも本質は血縁( DNA) ではなく「情」です。

たとえ、優秀な専門医でも、ギャンブル依存症の病理を完全に理解はできていません。だから妻が夫のギャンブル好きの心情を理解する必要はなく、夫を「惚れているかどうか」「放っとけないかどうか」「情があるかどうか」を基準として身の振り方を考えるべきだと思います。そこに「愛」あるかどうかで判断すればいいでしょう。